続 でも、好きなんです
午前0時が近付くに連れて、課長の様子がそわそわしだしたことで、私の意識は徐々に現実に引き戻されていった。

そうだ、この人には、帰らなければならない家がある。

そのことに気がついたとき、とても不思議な気持ちになった。

今、自分の隣で裸で眠っている男の帰りを待っている女がいる。

その女は、今はもう、彼のことを愛していないのかもしれないけれど、かつては愛し、そして愛された。

だから、彼は、彼女のもとに帰らなければならない。

…なぜ?

今、彼と愛し合っているのは私なのに。

彼の帰りを待っている女は、彼の母親でも、子どもでもない。

昔、彼に愛されていた女、ただそれだけのひとだ。

なのになぜ、彼は彼女のもとに帰らなければならないのだろう。



そんなふうに、すべてをはっきりと考えたわけじゃない。

ただぼんやりと、そんな違和感を感じていた。

それを口には出さず、かわりに、私は遠慮がちに尋ねた。

「おうち、帰らないといけないですよね?」

そこで一瞬、安堵の表情を見せるようなヘマを、彼はしなかった。

彼はあたかも、私に言われるまでそんなことは考えてみもしなかった、といった様子で、少し目を見開いて見せたあとで、とても悲しそうな顔をした。

「帰らないと駄目かな?」

帰らなくてもいいんじゃない?と私が言ったら、彼はどんな顔をするだろう、と考えたけれど、それを試しに言ってみる隙は、与えられなかった。

「駄目だよな。」

先ほどの言葉は、疑問文ではなく反語だったようだ。

なんと答えていいかわからず、私は、ベッドの上で、上半身だけを起こしたまま、曖昧に笑った。

彼は、より一層切なそうに顔を歪ませて、私を強く抱き寄せた。

「そんな顔をしないで。」

「じゃあ、どんな顔をしたらいい?」

それは、彼への抗議ではなく、素朴な疑問だった。

彼は、困った顔をする。

「…河本さんって、結構意地の悪いことを言うね。」

さっきまで、下の名前で読んでいたのに、河本さん、に戻っている。

なんだか可笑しくて笑ってしまった。
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