暗闇の恋
今日は歩のピアノの練習の日。
一昨日、友達の理沙ちゃんに支えられるように帰ってきたのを見かけた。
雨でわかりにくかったけど、歩は泣いていた。
なぜ泣いてたのか気になるけど、聞き出すなんて出来ない。
歩とはずっと近所に住む女の子で知ってる存在だった。
俺と歩は6歳離れてて俺が10歳の時通ってたピアノ教室に入ってきたのが見たことある女の子から気になる女の子に変わった日だった。
知っていた歩は目が見えなくなっていたけれど、前と変わらないかわいい笑顔を振りまく女の子だった。
彼女のピアノの才能はその頃から群を抜いていた。
あっという間に5年間通っていた俺の苦労は追い越され、幾つもの賞を手にした。
《盲目の天才少女》
歩が5歳のとき、あるピアノの雑誌がそう取り上げた。
初めて盲目という言葉を知った。
俺にとって歩は歩であって、盲目の天才少女ではなかったから。
気になる女の子から好きな女の子に変わるのに、さほど時間はかからなかった。
俺は音大を卒業しこの春からピアノの教師となった。
自分の通っていたピアノ教室で働いて歩の担当になった。
「虎ちゃんが先生なんて、なんか照れるね」
と、言った歩は可愛くて仕方がなかった。
歩の家に着きインターホンを鳴らすと歩が出てきた。
一昨日のは見間違いだったのかと思える程いつもと変わりない歩だった。
「こんにちわ。あれ今日おばさんは?」
「午前中仕事入って…二時には帰るって言ってたよ。」
「そっか…歩…?」
「ん?なに?」
駄目だ。やっぱり聞けない。
どう切り出せばいい?
一昨日泣いてるの見たけど、なんかあったの?
いや、直球すぎるだろ…。
「虎ちゃんなに?」
「いや…また少し太った?」
はぁ?そんなこと少しも思ってないだろっ!!
「ひど〜い!!そんなことないもん!虎ちゃんいっつもそんな事ばっかり言うんだからっ…もう嫌いっ!」
ヤバい。冗談でも嫌いは堪える。
「ごめんごめん。」
笑いながら誤魔化してみるけれど結構な自己嫌悪にかかる。
「いいよ。許してあげる!」
拗ねるように膨れた顔がとびきりの笑顔に変わる。
『くそっ!可愛すぎる。』
「あっお母さん帰ってくるまでピアノしたくないの…」
「えっなんで?」
「今日は虎ちゃんに相談があって…。」
急に真剣な表情に変わった。
嫌な予感がした。
この時断ってピアノの練習を始めればよかったと聞いた時後悔したけど、遅い。
歩は好きな人に《障がい者同士だから恋愛は無理》と言われたと…。
それは諦めた方がいいのか、母親には心配かけたくないから言えないでいる。
そこに俺がいたってことだ…。
一昨日の涙はこれだったんだとわかった。
歩が恋をした。
いつも「虎ちゃん待って」と俺の後を追いかけてきた歩が恋をした。
俺はどうしたらいい?
歩の背中を押すのか、諦めさせるのか…。
俺は…。
「歩らしくないな!それぐらいなんてことないだろ!」
背中を押すことを決めた。
「虎ちゃん…でも…」
「でもじゃない!そんな事言われても好きなんだろ?」
聞きたくない答えが出る質問をしてしまった。
「うん…好き。」
わかってる答えでも辛い。
この恥じらう顔は俺がさせてる顔じゃない。
俺の知らない歩の恋する相手がさせてる顔だ。
こんな時不謹慎でも歩が見えないことに感謝してしまう。
落胆してるこの顔を見られなくて済むから。
「じゃどうすべきかはわかってるんだろ?」
「そうだよね…うん、私頑張ってみるよ。なんか一昨日から考えてばっかりで辛かったの。虎ちゃんに相談して、よかった。」
そう言う歩の顔は皮肉にも、今まで見る笑顔のどれよりも綺麗に見えてしまった。
22歳にもなる男がこんな事で泣きそうになる。
歩が高校を卒業したら、この想いを伝えるつもりだった。
その前に歩が恋をするなんて思ってもみなかったんだ。
結局俺も歩を障がい者と思っていたのかもしれない。
いや、そうなんだ。
見えない歩が誰かを好きになるなんて思ってもみなかったんだから。
歩が好きになった相手は聴覚障がい者だと歩が言った。
なにかを失った者同士だから惹かれたものがあるのか?
そうだとしたら俺には一生わからない。
考えがどんどん嫌な奴になる。
俺は見えない歩が好きなんじゃない!
歩の心の綺麗さに惚れたんだ。
でも心が綺麗なのは余計な物を見ないからなのか…。
あぁぁぁぁもう何を考えても最終的には障がい者に辿りつく。
俺ってこんなに最低な奴だったんだと気付かされる。
俺は歩のなにを見てたのだろうか…。
歩の全てをわかって全てを好きでいるつもりでいた。
《つもり》だったんだ。
見えない歩を見てなかった。
駄目だ。今日はもう歩のそばに居たくない。
「歩…ごめん。ちょっと気分が悪いんだ。今日はもう帰らせてくれないか?今日の練習は後日にまわさせて…」
「えっ虎ちゃん…大丈夫?」
歩の手が伸びてくる。
きっとおでこに手を当てるつもりだ。
俺はその手を避けた。
歩の顔が少し曇った。
今の俺には歩の気持ちを気遣えない。
「ごめん…帰るよ。」
歩が何を言っても俺は玄関に向かった。
「虎ちゃん待ってよ!私なにかした?」
「ううん、なにもしてないよ。」
「じゃなんでそんな声してるの?」
ヤバい…気付かれてしまう。
俺は急いで玄関に向かう。
壁伝いに追ってくる歩を振り返ることなく玄関を開けた。
「きゃっ!びっくりした!」
帰ってきた、おばさんと出会う。
「お母さん!虎ちゃん止めて!」
「えっえっなに?」
おばさんを見た。
俺はすでに泣いていた。
見られた。歩に知られてしまう。
「あら、虎ちゃん顔色悪いじゃない。ちょっと送ってくるから、歩心配しないで待ってなさい。」
そう言っておばさんは俺を外に連れ出した。
「ごめん…おばさん…」
「虎ちゃんが泣くなんて…おばさん初めて見ちゃった。」
「歩が…歩が俺の知らない奴に恋した。俺…俺…」
「そっか…やっぱりそうだったのね…。虎ちゃん、ありがとね。」
そう言って おばさんは俺の背中をポンポンと叩いた。
おばさんはやっぱり知っていたんだと…俺の歩に対しての想いを知っていたんだと思った。
「おばさん…今日は帰る。」
「うん、歩にはうまいこと言っとくから大丈夫よ。」
そう言われ俺は家に帰った。
俺は歩の恋が崩れることを願った。
それが歩にとって辛く悲しいことでも、そうなることを願った。
一昨日、友達の理沙ちゃんに支えられるように帰ってきたのを見かけた。
雨でわかりにくかったけど、歩は泣いていた。
なぜ泣いてたのか気になるけど、聞き出すなんて出来ない。
歩とはずっと近所に住む女の子で知ってる存在だった。
俺と歩は6歳離れてて俺が10歳の時通ってたピアノ教室に入ってきたのが見たことある女の子から気になる女の子に変わった日だった。
知っていた歩は目が見えなくなっていたけれど、前と変わらないかわいい笑顔を振りまく女の子だった。
彼女のピアノの才能はその頃から群を抜いていた。
あっという間に5年間通っていた俺の苦労は追い越され、幾つもの賞を手にした。
《盲目の天才少女》
歩が5歳のとき、あるピアノの雑誌がそう取り上げた。
初めて盲目という言葉を知った。
俺にとって歩は歩であって、盲目の天才少女ではなかったから。
気になる女の子から好きな女の子に変わるのに、さほど時間はかからなかった。
俺は音大を卒業しこの春からピアノの教師となった。
自分の通っていたピアノ教室で働いて歩の担当になった。
「虎ちゃんが先生なんて、なんか照れるね」
と、言った歩は可愛くて仕方がなかった。
歩の家に着きインターホンを鳴らすと歩が出てきた。
一昨日のは見間違いだったのかと思える程いつもと変わりない歩だった。
「こんにちわ。あれ今日おばさんは?」
「午前中仕事入って…二時には帰るって言ってたよ。」
「そっか…歩…?」
「ん?なに?」
駄目だ。やっぱり聞けない。
どう切り出せばいい?
一昨日泣いてるの見たけど、なんかあったの?
いや、直球すぎるだろ…。
「虎ちゃんなに?」
「いや…また少し太った?」
はぁ?そんなこと少しも思ってないだろっ!!
「ひど〜い!!そんなことないもん!虎ちゃんいっつもそんな事ばっかり言うんだからっ…もう嫌いっ!」
ヤバい。冗談でも嫌いは堪える。
「ごめんごめん。」
笑いながら誤魔化してみるけれど結構な自己嫌悪にかかる。
「いいよ。許してあげる!」
拗ねるように膨れた顔がとびきりの笑顔に変わる。
『くそっ!可愛すぎる。』
「あっお母さん帰ってくるまでピアノしたくないの…」
「えっなんで?」
「今日は虎ちゃんに相談があって…。」
急に真剣な表情に変わった。
嫌な予感がした。
この時断ってピアノの練習を始めればよかったと聞いた時後悔したけど、遅い。
歩は好きな人に《障がい者同士だから恋愛は無理》と言われたと…。
それは諦めた方がいいのか、母親には心配かけたくないから言えないでいる。
そこに俺がいたってことだ…。
一昨日の涙はこれだったんだとわかった。
歩が恋をした。
いつも「虎ちゃん待って」と俺の後を追いかけてきた歩が恋をした。
俺はどうしたらいい?
歩の背中を押すのか、諦めさせるのか…。
俺は…。
「歩らしくないな!それぐらいなんてことないだろ!」
背中を押すことを決めた。
「虎ちゃん…でも…」
「でもじゃない!そんな事言われても好きなんだろ?」
聞きたくない答えが出る質問をしてしまった。
「うん…好き。」
わかってる答えでも辛い。
この恥じらう顔は俺がさせてる顔じゃない。
俺の知らない歩の恋する相手がさせてる顔だ。
こんな時不謹慎でも歩が見えないことに感謝してしまう。
落胆してるこの顔を見られなくて済むから。
「じゃどうすべきかはわかってるんだろ?」
「そうだよね…うん、私頑張ってみるよ。なんか一昨日から考えてばっかりで辛かったの。虎ちゃんに相談して、よかった。」
そう言う歩の顔は皮肉にも、今まで見る笑顔のどれよりも綺麗に見えてしまった。
22歳にもなる男がこんな事で泣きそうになる。
歩が高校を卒業したら、この想いを伝えるつもりだった。
その前に歩が恋をするなんて思ってもみなかったんだ。
結局俺も歩を障がい者と思っていたのかもしれない。
いや、そうなんだ。
見えない歩が誰かを好きになるなんて思ってもみなかったんだから。
歩が好きになった相手は聴覚障がい者だと歩が言った。
なにかを失った者同士だから惹かれたものがあるのか?
そうだとしたら俺には一生わからない。
考えがどんどん嫌な奴になる。
俺は見えない歩が好きなんじゃない!
歩の心の綺麗さに惚れたんだ。
でも心が綺麗なのは余計な物を見ないからなのか…。
あぁぁぁぁもう何を考えても最終的には障がい者に辿りつく。
俺ってこんなに最低な奴だったんだと気付かされる。
俺は歩のなにを見てたのだろうか…。
歩の全てをわかって全てを好きでいるつもりでいた。
《つもり》だったんだ。
見えない歩を見てなかった。
駄目だ。今日はもう歩のそばに居たくない。
「歩…ごめん。ちょっと気分が悪いんだ。今日はもう帰らせてくれないか?今日の練習は後日にまわさせて…」
「えっ虎ちゃん…大丈夫?」
歩の手が伸びてくる。
きっとおでこに手を当てるつもりだ。
俺はその手を避けた。
歩の顔が少し曇った。
今の俺には歩の気持ちを気遣えない。
「ごめん…帰るよ。」
歩が何を言っても俺は玄関に向かった。
「虎ちゃん待ってよ!私なにかした?」
「ううん、なにもしてないよ。」
「じゃなんでそんな声してるの?」
ヤバい…気付かれてしまう。
俺は急いで玄関に向かう。
壁伝いに追ってくる歩を振り返ることなく玄関を開けた。
「きゃっ!びっくりした!」
帰ってきた、おばさんと出会う。
「お母さん!虎ちゃん止めて!」
「えっえっなに?」
おばさんを見た。
俺はすでに泣いていた。
見られた。歩に知られてしまう。
「あら、虎ちゃん顔色悪いじゃない。ちょっと送ってくるから、歩心配しないで待ってなさい。」
そう言っておばさんは俺を外に連れ出した。
「ごめん…おばさん…」
「虎ちゃんが泣くなんて…おばさん初めて見ちゃった。」
「歩が…歩が俺の知らない奴に恋した。俺…俺…」
「そっか…やっぱりそうだったのね…。虎ちゃん、ありがとね。」
そう言って おばさんは俺の背中をポンポンと叩いた。
おばさんはやっぱり知っていたんだと…俺の歩に対しての想いを知っていたんだと思った。
「おばさん…今日は帰る。」
「うん、歩にはうまいこと言っとくから大丈夫よ。」
そう言われ俺は家に帰った。
俺は歩の恋が崩れることを願った。
それが歩にとって辛く悲しいことでも、そうなることを願った。