暗闇の恋
八雲さんにあの言葉を言われてから、もう一週間が経った。
あれから一度も会うどころか、すれ違うこともない。
シトラスとムスクの香りは一度もしていない。
せっかく虎ちゃんに背中押してもらったのに…こんなんじゃ何もできない。
そういえば虎ちゃん全然連絡ないけど、風邪大丈夫なのかな…。
ふと、八雲さんの匂いに似た香りがした。
でも少し違う甘い香りが混ざってる。
思わず声が出た。
「八雲さん!?」
八雲さんは聞こえないのに…。
「なに?郁の知り合い?」
えっ誰?女の人?
声の感じから若い女性だと思った。
「あの…。」
「あぁ…私、郁の…知り合いなの。」
知り合い…嘘だ。
恋人かもしれない。
「あの私…井伊垣歩といいます。先日ここで車道に出たところを助けてもらったんです。」
「それっていつ頃?」
「一週間と少し前ぐらいです。」
「ふ〜ん、そっか。で、郁になんかようなの?」
この女の人も八雲さんと同じ優しさがある雰囲気を持った人。
でも、なんだろう…その優しさの奥になんか違う物がある…。
「えっと、用ってわけじゃ…お礼ちゃんと言ってなかったなと思ってて…」
自分でも苦しい言い訳のように思えた。
「なんだ、そうなの?!じゃ一緒に行く?今から郁の家に帰るとこなの。」
帰るとこ…行くとじゃなくて帰るとこ?一緒に暮らしてるのかな…。
あっお姉さんか妹さんかもしれない。
自分の中で恋人から遠ざけようとしてる。
「いえ…でも…」
「いいのいいの、子供が遠慮しちゃダメよ!あっ私まどかっていうの。如月まどか、よろしくね。」
はぁ八雲じゃない…お姉さんも妹も外れた。
これでもう恋人確定じゃん!!
尚更行きたくないな…。
「えっと歩ちゃんだっけ…遠慮しないで。行こう。」
「はい…。」
思わず返事をしてしまった。しかも「はい」。
それってYesってことなのにぃぃ!!
まどかさんはとても優しい人だった。
障がい者に馴れてる。そう思った。
ずっと私の手を肩に乗せて歩いてくれた。
きっと八雲さんのことで、いろんなことを勉強したのだろうと思った。
行く道のりで、まどかさんは自分が八雲さんと同じ大学に通ってることを教えてくれた。
この人は障がい者、健常者という垣根がない。
まず分けてもない。
誰にも聞かれた事のない質問をされた。
答えに戸惑っていると、変な事聞いちゃったかな。ごめんねと話を終わらせた。
垣根がないから聞ける質問だと思った。
きっとこの人は八雲さんの支えになってる。
それも心の支えに。
たった数分しかまだ一緒にいていないのに、この人の肩に乗せてる手は安心しているから。
交差点からほどなくして目的地である家に着いた。
「二階なの…階段急だから足元気をつけてね。」
そう言うと私の後ろについて階段を上る。
支えようと、手が近くでスタンバイしてるのがわかる。
さりげなく、ごく自然にサポートが出来る人だと思った。
「ここ、ちょっと待って」
そう言うとゴソゴソとなにかをしてる。
「あったあった。」
鞄の中の鍵を探してたんだと、カチャカチャと揺らした金属の音で気づく。
玄関を開ける音がする。
まどかさんが手を引いてくれる。
通された部屋はシトラスとムスクの香りがした。
それと甘い香り。バニラの甘い香り。
これは、まどかさんの香りなんだと思った。
「コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
「じゃ紅茶で…」
「は〜い。」
少しして紅茶の香りがしてきた。
「はい。郁もうすぐ帰ってくると思うから。」
紅茶を置かれ、まどかさんが隣に座る。
「バニラの香り…」
「えっあぁ私の香水。気に入ってるの。」
4歳しか違わないのに大人に感じる。
私は子供なんだと思った。
障がい者同士だからだけじゃなく、私の子供さが嫌だったのかもしれない。
見えないのに、ここの部屋には八雲さんのだけじゃなく、まどかさんの物もある。
一日やそこらでこんなに香りが残るわけない。
私…場違いだ。
やっぱり来るんじゃなかった。
どんだけ虎ちゃんに背中押してもらったって、こんなんじゃ頑張れない。
八雲さんの隣にはもういるんだもん。
そこを割って入るなんてやり方も考えさえも浮かばない。
私は…。
「まどかさん…今日は帰ります。」
「えっなんで?」
「用事があったの思い出したし、お母さんに連絡もしてないから…」
「そっか、じゃ送って行くよ。」
そう言って立ち上がるまどかさんを止めた。
「いえ、大丈夫です。来るときに道覚えてるから。」
「えっでも…」
「本当に大丈夫です。」
まどかさんの言葉を遮り断ると、少し沈黙が流れた。
「そっか…じゃ気をつけてね。」
沈黙を破ってくれたのは、まどかさん。
大人なんだと思った。
「はい。お邪魔しました。」
帰り道なんて覚えてない。
だってそれだけ、私の手を乗せていた肩を信頼をしてたから。
お母さんには言えない。
通りすがりの人に道を聞いて帰った。
交差点までくれば後はわかる。案内してくれた人にお礼を言って別れる。
交差点を渡る。
すれ違う人の波。
白杖を突きながら歩く私を避けていく人の波。
まるでモーセの十戒だ。
前方からあの匂いがした。
今度は紛れも無いシトラスとムスクの香り。
八雲さんだと思った。
でも、今度は黙って通り過ぎる。
もう関わらないほうがいい。
私は自分が傷付くことから逃げた。
この恋から逃げたほうがいい。
そう思った。
シトラスとムスクの香りが遠ざかる。
本当にこれでいいのかと自問自答を繰り返す。
「八雲さん!!」
やっぱり私には諦めきれない。
振り返り大声で叫んだ。
好きな人の名前を、めいいっぱい叫んだ。
八雲さんの耳に届かないとわかっていても心に届いてほしくて。
信号の音が変わる。
それでも叫び続けた。
不意に腕を引っ張られる。
「八雲さん!?」
「あんた危ないじゃない!」
知らない女性の声。
「ごめんなさい。ありがとうございました。」
八雲さんに届かなかった。
私はゆっくり家へと歩き出した。
白杖のコツコツの音が今日はリズムを刻んでくれない。
こんなのは初めてだった。
私は家に電話し、そのまま虎ちゃんの家に向かった。
お母さんに今の私を見られたくなかった。
あれから一度も会うどころか、すれ違うこともない。
シトラスとムスクの香りは一度もしていない。
せっかく虎ちゃんに背中押してもらったのに…こんなんじゃ何もできない。
そういえば虎ちゃん全然連絡ないけど、風邪大丈夫なのかな…。
ふと、八雲さんの匂いに似た香りがした。
でも少し違う甘い香りが混ざってる。
思わず声が出た。
「八雲さん!?」
八雲さんは聞こえないのに…。
「なに?郁の知り合い?」
えっ誰?女の人?
声の感じから若い女性だと思った。
「あの…。」
「あぁ…私、郁の…知り合いなの。」
知り合い…嘘だ。
恋人かもしれない。
「あの私…井伊垣歩といいます。先日ここで車道に出たところを助けてもらったんです。」
「それっていつ頃?」
「一週間と少し前ぐらいです。」
「ふ〜ん、そっか。で、郁になんかようなの?」
この女の人も八雲さんと同じ優しさがある雰囲気を持った人。
でも、なんだろう…その優しさの奥になんか違う物がある…。
「えっと、用ってわけじゃ…お礼ちゃんと言ってなかったなと思ってて…」
自分でも苦しい言い訳のように思えた。
「なんだ、そうなの?!じゃ一緒に行く?今から郁の家に帰るとこなの。」
帰るとこ…行くとじゃなくて帰るとこ?一緒に暮らしてるのかな…。
あっお姉さんか妹さんかもしれない。
自分の中で恋人から遠ざけようとしてる。
「いえ…でも…」
「いいのいいの、子供が遠慮しちゃダメよ!あっ私まどかっていうの。如月まどか、よろしくね。」
はぁ八雲じゃない…お姉さんも妹も外れた。
これでもう恋人確定じゃん!!
尚更行きたくないな…。
「えっと歩ちゃんだっけ…遠慮しないで。行こう。」
「はい…。」
思わず返事をしてしまった。しかも「はい」。
それってYesってことなのにぃぃ!!
まどかさんはとても優しい人だった。
障がい者に馴れてる。そう思った。
ずっと私の手を肩に乗せて歩いてくれた。
きっと八雲さんのことで、いろんなことを勉強したのだろうと思った。
行く道のりで、まどかさんは自分が八雲さんと同じ大学に通ってることを教えてくれた。
この人は障がい者、健常者という垣根がない。
まず分けてもない。
誰にも聞かれた事のない質問をされた。
答えに戸惑っていると、変な事聞いちゃったかな。ごめんねと話を終わらせた。
垣根がないから聞ける質問だと思った。
きっとこの人は八雲さんの支えになってる。
それも心の支えに。
たった数分しかまだ一緒にいていないのに、この人の肩に乗せてる手は安心しているから。
交差点からほどなくして目的地である家に着いた。
「二階なの…階段急だから足元気をつけてね。」
そう言うと私の後ろについて階段を上る。
支えようと、手が近くでスタンバイしてるのがわかる。
さりげなく、ごく自然にサポートが出来る人だと思った。
「ここ、ちょっと待って」
そう言うとゴソゴソとなにかをしてる。
「あったあった。」
鞄の中の鍵を探してたんだと、カチャカチャと揺らした金属の音で気づく。
玄関を開ける音がする。
まどかさんが手を引いてくれる。
通された部屋はシトラスとムスクの香りがした。
それと甘い香り。バニラの甘い香り。
これは、まどかさんの香りなんだと思った。
「コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
「じゃ紅茶で…」
「は〜い。」
少しして紅茶の香りがしてきた。
「はい。郁もうすぐ帰ってくると思うから。」
紅茶を置かれ、まどかさんが隣に座る。
「バニラの香り…」
「えっあぁ私の香水。気に入ってるの。」
4歳しか違わないのに大人に感じる。
私は子供なんだと思った。
障がい者同士だからだけじゃなく、私の子供さが嫌だったのかもしれない。
見えないのに、ここの部屋には八雲さんのだけじゃなく、まどかさんの物もある。
一日やそこらでこんなに香りが残るわけない。
私…場違いだ。
やっぱり来るんじゃなかった。
どんだけ虎ちゃんに背中押してもらったって、こんなんじゃ頑張れない。
八雲さんの隣にはもういるんだもん。
そこを割って入るなんてやり方も考えさえも浮かばない。
私は…。
「まどかさん…今日は帰ります。」
「えっなんで?」
「用事があったの思い出したし、お母さんに連絡もしてないから…」
「そっか、じゃ送って行くよ。」
そう言って立ち上がるまどかさんを止めた。
「いえ、大丈夫です。来るときに道覚えてるから。」
「えっでも…」
「本当に大丈夫です。」
まどかさんの言葉を遮り断ると、少し沈黙が流れた。
「そっか…じゃ気をつけてね。」
沈黙を破ってくれたのは、まどかさん。
大人なんだと思った。
「はい。お邪魔しました。」
帰り道なんて覚えてない。
だってそれだけ、私の手を乗せていた肩を信頼をしてたから。
お母さんには言えない。
通りすがりの人に道を聞いて帰った。
交差点までくれば後はわかる。案内してくれた人にお礼を言って別れる。
交差点を渡る。
すれ違う人の波。
白杖を突きながら歩く私を避けていく人の波。
まるでモーセの十戒だ。
前方からあの匂いがした。
今度は紛れも無いシトラスとムスクの香り。
八雲さんだと思った。
でも、今度は黙って通り過ぎる。
もう関わらないほうがいい。
私は自分が傷付くことから逃げた。
この恋から逃げたほうがいい。
そう思った。
シトラスとムスクの香りが遠ざかる。
本当にこれでいいのかと自問自答を繰り返す。
「八雲さん!!」
やっぱり私には諦めきれない。
振り返り大声で叫んだ。
好きな人の名前を、めいいっぱい叫んだ。
八雲さんの耳に届かないとわかっていても心に届いてほしくて。
信号の音が変わる。
それでも叫び続けた。
不意に腕を引っ張られる。
「八雲さん!?」
「あんた危ないじゃない!」
知らない女性の声。
「ごめんなさい。ありがとうございました。」
八雲さんに届かなかった。
私はゆっくり家へと歩き出した。
白杖のコツコツの音が今日はリズムを刻んでくれない。
こんなのは初めてだった。
私は家に電話し、そのまま虎ちゃんの家に向かった。
お母さんに今の私を見られたくなかった。