暗闇の恋
あまり寝ることが出来なかった。
10時の約束なのに8時から用意を始めた。
「お母さ〜ん、花柄のワンピース何処?」
下の階にいるお母さんに声をかけた。
「クローゼットにあるでしょ?」
そう言われてクローゼットを探した。
一着一着確かめていく。
気に入ってる服だから触ればわかる。
布の感じとか裾にあるレースの刺繍とか…色は淡い青。
お母さんがこれ似合うわと買ってくれた。
「なに!?なんで私お気に入りの服選んでんの!」
服なんてなんでもいいはずなのに、しかもお気に入りなんて…。
ドアがノックされ扉を開ける音がした。
「あった?」
「うん、あったよ」
「なに、歩出かけるの?」
「うん、八雲さんって人とちょっとね…」
「……八雲…?」
「あっ高校の友達。」
「あっそうなの…なんだ…」
「えっなに?」
「ううん。気を付けて行くのよ。」
「うん。わかった。」
「お母さん今何時?」
「う〜んと…もうすぐ9時10分になるかな」
「えっもうそんな時間!?」
1時間以上も支度してたのかと自分でもびっくりした。
ここから待ち合わせ場所の交差点まで30分ってことは、もう20分しかないの!?
「どうしたの?間に合わないの?」
あたふたする私を見てお母さんが気付いてくれた。
「約束10時なの!!間に合わない!」
「髪型どうする?」
「じゃクリクリにして。」
「はいはい。」
椅子に座るとお母さんは手際よく私の髪型をしてくれた。
10分程で髪型が出来上がる。
「はい、出来ました。お客様メイクはいかがなさいますか?」
「お願いします。」
「かしこまりました。」
「お母さん今日仕事は?」
「今日は二号店の方に行くから少し帰り遅くなるかな。」
「わかった。」
美容室を三店舗経営していて現役で美容師さんをしながら私を育ててくれた。
「我が子ながら美人だわ。」
「ありがとう。」
「35分だわ…間に合う?」
「うん、大丈夫。ありがと。」
結局家を出たのは9時50分だった。
急ぎたいけど走る事が出来ない。
初めて白杖をついてることに苛立ちを感じた。
交差点に着いたのは10時15分をまわっていた。
「八雲さん…」
集中して八雲さんの匂いを探した。
肩を叩かれた。
【井伊垣さん。おはよう。】
「ごめんなさい。遅れちゃって…」
【気にしないで。来てくれただけで嬉しいから。来ないかと思って不安になってた。】
「用意してたら時間なくなっちゃって…本当にごめんなさい。」
【うん。もういいから…今日もかわいい。】
「えっ!?」
急に言われて手のひらが熱くなる。
【今日は遊園地行こうかなって…どうかな?】
遊園地…正直人が沢山の所に行くのは怖い。
お母さんや理沙、虎ちゃんとなら平気。信頼できる人がいれば怖くない。
でもまだ八雲さんが信頼できる人にはなってない。
でも考えてくれた一度だけのデート。
断れない。
「はい。遊園地楽しみです。」
【よかった…】
私は八雲さんの腕を掴んで歩いた。
そうしないといけないとはいえ、不甲斐にもドキドキしてしまう。
電車に乗って席に座ると八雲さんが手を取った。
【歩って呼んでいいかな?】
えっそれは…でも最初で最後だし…。
「はい。」
【僕のことも郁でいいから。】
郁…虎ちゃんのこともまだちゃんと名前で呼んでない。
幼馴染みのままの呼び方。
虎生って呼びたいけど恥ずかしさが邪魔してまだ呼べないでいる。
虎ちゃんより先に異性を名前でなんて呼びたくない…。
「ごめんなさい…それは出来ないです。私は八雲さんのままでいいですか?」
【うん。わかった。】
残念がってるのが伝わってくる。
【僕の我儘聞いてくれてありがとう。今日は…今日だけ恋人でいてほしい。】
八雲さんはいつも急にドキッとすることを言ってくる。
今日だけは恋人。
今日一日だけの恋人。
「はい…。」
虎ちゃんへの罪悪感がどんどん増えていく。
今日のこの時間を選んだことを後悔している。
なのに、隣から伝わる八雲さんの熱が頭を熱くさせる。
自分がどう見えてるのかが気になる。
うまく笑えているか、うまく話せているか色んな事が頭の中を埋めて行く。
この服を選んだことをよかったと思ってしまった。
かわいいと言われて嬉しかった。
私は虎ちゃんと一緒に歩いて行くと決めた。
だから虎ちゃんのプロポーズを受けたんだ。
なのに、八雲さんと今一緒に居ることが、こんなにも嬉しいと思ってしまうのか、わからない。
ただこの香りを今日は私だけが感じる事が出来る。
甘い香りが混ざっていないシトラスとムスクの香り。
小さな優越感を感じてる。
これがまどかさんに対しての嫉妬だとわかる。
今日は虎ちゃんのことも、まどかさんのことも忘れて八雲さんの彼女なる。
「八雲さん…今日は私彼のこと忘れてます。だから八雲さんもまどかさんのこと忘れてください。」
【わかった。】
遊園地に着いて色んな乗り物に乗った。
来る前に感じた恐怖が嘘のように楽しい。
八雲さんは私が不安にならないように先々に気を効かせてくれる。
【段差がある時は肩叩くから。】
【何かあったら、引っ張ってくれたらいいからね。】
色んな事を調べてくれたんだろうと思った。
昼ごはんは園内にある店でオムライスを食べた。
少しでも綺麗に食べたくて緊張しながら食べたから、味がわからなかった。
不意に口元を触られた。
「なに??」
【ケチャップついてた。】
恥ずかしい。顔を上げられなくなる。
【かわいい…指で取るんじゃなくてキスすればよかった。】
「なっ?!」
【冗談…少し本気だけど。】
「もうっからかわないでください。」
八雲さんが笑ってるのが息遣いでわかる。
楽しい…八雲さんとこんな時間を過ごせてる事が嬉しかった。
鞄の中で携帯がなった。
虎ちゃんからの着信に設定している音楽が鳴り響く。
音楽を聴いて気付いた。
私…虎ちゃんを本当に忘れてた。
遊園地に入ってから一度も思い出してなかった…。
急いで電話に出た。
「もしもし歩?」
「うん、虎ちゃん元気?」
「うん、歩も元気そう…早く会いたいよ。」
心がズキズキ痛む。
「私も虎ちゃんに会いたい。」
今すぐ虎ちゃんに心を戻したい。
「明日帰る予定だったけど今日帰ることにしたんだ。」
えっ…今日?!
「本当に?」
「あぁ家に8時には着くと思う。」
腕時計を触る。
針が2時48分を指している。
十分に余裕を持ってでも6時には家に帰っておきたい。
「わかった。待ってる。」
「今日お母さんは?」
「遅くなるって言ってた。」
「じゃ一緒に御飯食べよう。」
「うん。気を付けて帰ってきてね。」
「ありがとう。…歩…?」
「ん?」
「好きだよ。」
「…うん。私も好きだよ。」
じゃまた後でと電話を切った。
【彼氏?】
電話を切るとすぐに手を引かれ文字を書かれた。
少し力が強くて痛かった。
「仕事早く終わったから晩会うことになりました。だから5時ぐらいに帰りたいです。」
伝えるのが凄く嫌だった。
【帰さない。】
手のひらに書かれた文字が重く感じた。
「八雲さん…」
【帰したくない。僕にも欲がある。このまま歩を僕のものにしたい。】
「それは…」
鼓動が早くなる。
八雲さんのものって…そうゆう事だよね…。
そんな事出来るわけ…ない。
【今から僕の家に来ないか?まどかなら友達と旅行なんだ。】
八雲さんの想いが大きくて声が出ない。
首を横に振るのが精一杯だった。
【一度だけでいい。歩の全てを知りたい。】
全てなんて…そんな…虎ちゃんとだってまだなのに…。
いや、そんな事言ったら虎ちゃんとそうゆう関係になってたらいいみたいじゃん!
「帰ります。」
やっと言えた言葉は八雲さんを突き離す言い方になった。
今度は私が八雲さんを傷付けてる。
【ごめん…そんな事言わないで。僕ももう言わないから。】
指が震えてる。
泣いてる…??
気付けば八雲さんの顔に触れていた。
八雲さんの両頬を包むように…。
私何をしてるんだろう!!
自分の大胆さに驚いて手を離そうとした瞬間八雲さんが私の手を掴んだ。
息が止まりそうな程、鼓動が早くなる。
息がかかる距離に八雲さんが居るのがわかる。
それほど顔の距離が近い。
シトラスとムスクの香りに眩暈しそいになる。
八雲さんがそっと私の唇にキスをした。
私は拒否することなくそのキスを受け入れた。
キスされるとわかっていたのに、拒まなかった。
「お姉ちゃんたちチューしてるぅ!!」
子供の声に我に返る。
八雲さんを押して体を離した。
反動で後ろに転んでしまう。
「あっ!」
周りの人が声を上げる。
私の体を支えるように八雲さんが起こしてくれた。
【ごめん。調子に乗って…送るよ。】
謝らないで…。
私も望んでしてしまった事だったから。
頭の中で虎ちゃんに呼ばれる声が聞こえる。
私…最低だ。
自分がこんなに意志が弱い人間だとは思ってなかった。
八雲さんの頬に触れた時には、キスできる距離だと思った。
事故のキスじゃない。
故意でしたキス。
私…八雲さんが好き!?
ううん、虎ちゃんが好き。
虎ちゃんが悲しむとこなんて見たくない。
でも……あぁそっか二人共好きなんだ…。
こんな事ありえない。
わかってるのに心が二つに分かれてる。
子供の私には理解出来ない。
帰り道、私たち二人はどちらからも話さなかった。
話せなくなっていた。
次の約束などせず、八雲さんは昨日約束した通り
【これで、さようならだね。元気で…。】と弱々しく文字を書いた。
八雲さんと駅で別れて理沙に電話をかけた。
理沙は電話に出なかった。
電話を切った後、涙がこみ上げてきた。
周りの人の目なんて気にならなかった。
このまま八雲さんと別れてしまうことが、たまらなく嫌だった。
でも私には虎ちゃんがいて、八雲さんにはまどかさんがいる。
どうすることもできない。
私は止めていた足を一歩踏み出した。
不意に腕を掴まれた。
振り向くとシトラスとムスクの香り…。
八雲さんだとすぐにわかった。
香りだけじゃない。
彼の手の感触を覚えてた。
今日ずっと一緒に居て彼の手の感触は刻まれたから。
抱き締められた腕の中で、このまま一緒に居たいと思った。
何度も何度も心の中で虎ちゃんに謝った。
私は八雲さんと一緒に居たい。
私も八雲さんの全てを知りたい。
知って欲しい。
私だけの八雲さんでいて欲しい。
10時の約束なのに8時から用意を始めた。
「お母さ〜ん、花柄のワンピース何処?」
下の階にいるお母さんに声をかけた。
「クローゼットにあるでしょ?」
そう言われてクローゼットを探した。
一着一着確かめていく。
気に入ってる服だから触ればわかる。
布の感じとか裾にあるレースの刺繍とか…色は淡い青。
お母さんがこれ似合うわと買ってくれた。
「なに!?なんで私お気に入りの服選んでんの!」
服なんてなんでもいいはずなのに、しかもお気に入りなんて…。
ドアがノックされ扉を開ける音がした。
「あった?」
「うん、あったよ」
「なに、歩出かけるの?」
「うん、八雲さんって人とちょっとね…」
「……八雲…?」
「あっ高校の友達。」
「あっそうなの…なんだ…」
「えっなに?」
「ううん。気を付けて行くのよ。」
「うん。わかった。」
「お母さん今何時?」
「う〜んと…もうすぐ9時10分になるかな」
「えっもうそんな時間!?」
1時間以上も支度してたのかと自分でもびっくりした。
ここから待ち合わせ場所の交差点まで30分ってことは、もう20分しかないの!?
「どうしたの?間に合わないの?」
あたふたする私を見てお母さんが気付いてくれた。
「約束10時なの!!間に合わない!」
「髪型どうする?」
「じゃクリクリにして。」
「はいはい。」
椅子に座るとお母さんは手際よく私の髪型をしてくれた。
10分程で髪型が出来上がる。
「はい、出来ました。お客様メイクはいかがなさいますか?」
「お願いします。」
「かしこまりました。」
「お母さん今日仕事は?」
「今日は二号店の方に行くから少し帰り遅くなるかな。」
「わかった。」
美容室を三店舗経営していて現役で美容師さんをしながら私を育ててくれた。
「我が子ながら美人だわ。」
「ありがとう。」
「35分だわ…間に合う?」
「うん、大丈夫。ありがと。」
結局家を出たのは9時50分だった。
急ぎたいけど走る事が出来ない。
初めて白杖をついてることに苛立ちを感じた。
交差点に着いたのは10時15分をまわっていた。
「八雲さん…」
集中して八雲さんの匂いを探した。
肩を叩かれた。
【井伊垣さん。おはよう。】
「ごめんなさい。遅れちゃって…」
【気にしないで。来てくれただけで嬉しいから。来ないかと思って不安になってた。】
「用意してたら時間なくなっちゃって…本当にごめんなさい。」
【うん。もういいから…今日もかわいい。】
「えっ!?」
急に言われて手のひらが熱くなる。
【今日は遊園地行こうかなって…どうかな?】
遊園地…正直人が沢山の所に行くのは怖い。
お母さんや理沙、虎ちゃんとなら平気。信頼できる人がいれば怖くない。
でもまだ八雲さんが信頼できる人にはなってない。
でも考えてくれた一度だけのデート。
断れない。
「はい。遊園地楽しみです。」
【よかった…】
私は八雲さんの腕を掴んで歩いた。
そうしないといけないとはいえ、不甲斐にもドキドキしてしまう。
電車に乗って席に座ると八雲さんが手を取った。
【歩って呼んでいいかな?】
えっそれは…でも最初で最後だし…。
「はい。」
【僕のことも郁でいいから。】
郁…虎ちゃんのこともまだちゃんと名前で呼んでない。
幼馴染みのままの呼び方。
虎生って呼びたいけど恥ずかしさが邪魔してまだ呼べないでいる。
虎ちゃんより先に異性を名前でなんて呼びたくない…。
「ごめんなさい…それは出来ないです。私は八雲さんのままでいいですか?」
【うん。わかった。】
残念がってるのが伝わってくる。
【僕の我儘聞いてくれてありがとう。今日は…今日だけ恋人でいてほしい。】
八雲さんはいつも急にドキッとすることを言ってくる。
今日だけは恋人。
今日一日だけの恋人。
「はい…。」
虎ちゃんへの罪悪感がどんどん増えていく。
今日のこの時間を選んだことを後悔している。
なのに、隣から伝わる八雲さんの熱が頭を熱くさせる。
自分がどう見えてるのかが気になる。
うまく笑えているか、うまく話せているか色んな事が頭の中を埋めて行く。
この服を選んだことをよかったと思ってしまった。
かわいいと言われて嬉しかった。
私は虎ちゃんと一緒に歩いて行くと決めた。
だから虎ちゃんのプロポーズを受けたんだ。
なのに、八雲さんと今一緒に居ることが、こんなにも嬉しいと思ってしまうのか、わからない。
ただこの香りを今日は私だけが感じる事が出来る。
甘い香りが混ざっていないシトラスとムスクの香り。
小さな優越感を感じてる。
これがまどかさんに対しての嫉妬だとわかる。
今日は虎ちゃんのことも、まどかさんのことも忘れて八雲さんの彼女なる。
「八雲さん…今日は私彼のこと忘れてます。だから八雲さんもまどかさんのこと忘れてください。」
【わかった。】
遊園地に着いて色んな乗り物に乗った。
来る前に感じた恐怖が嘘のように楽しい。
八雲さんは私が不安にならないように先々に気を効かせてくれる。
【段差がある時は肩叩くから。】
【何かあったら、引っ張ってくれたらいいからね。】
色んな事を調べてくれたんだろうと思った。
昼ごはんは園内にある店でオムライスを食べた。
少しでも綺麗に食べたくて緊張しながら食べたから、味がわからなかった。
不意に口元を触られた。
「なに??」
【ケチャップついてた。】
恥ずかしい。顔を上げられなくなる。
【かわいい…指で取るんじゃなくてキスすればよかった。】
「なっ?!」
【冗談…少し本気だけど。】
「もうっからかわないでください。」
八雲さんが笑ってるのが息遣いでわかる。
楽しい…八雲さんとこんな時間を過ごせてる事が嬉しかった。
鞄の中で携帯がなった。
虎ちゃんからの着信に設定している音楽が鳴り響く。
音楽を聴いて気付いた。
私…虎ちゃんを本当に忘れてた。
遊園地に入ってから一度も思い出してなかった…。
急いで電話に出た。
「もしもし歩?」
「うん、虎ちゃん元気?」
「うん、歩も元気そう…早く会いたいよ。」
心がズキズキ痛む。
「私も虎ちゃんに会いたい。」
今すぐ虎ちゃんに心を戻したい。
「明日帰る予定だったけど今日帰ることにしたんだ。」
えっ…今日?!
「本当に?」
「あぁ家に8時には着くと思う。」
腕時計を触る。
針が2時48分を指している。
十分に余裕を持ってでも6時には家に帰っておきたい。
「わかった。待ってる。」
「今日お母さんは?」
「遅くなるって言ってた。」
「じゃ一緒に御飯食べよう。」
「うん。気を付けて帰ってきてね。」
「ありがとう。…歩…?」
「ん?」
「好きだよ。」
「…うん。私も好きだよ。」
じゃまた後でと電話を切った。
【彼氏?】
電話を切るとすぐに手を引かれ文字を書かれた。
少し力が強くて痛かった。
「仕事早く終わったから晩会うことになりました。だから5時ぐらいに帰りたいです。」
伝えるのが凄く嫌だった。
【帰さない。】
手のひらに書かれた文字が重く感じた。
「八雲さん…」
【帰したくない。僕にも欲がある。このまま歩を僕のものにしたい。】
「それは…」
鼓動が早くなる。
八雲さんのものって…そうゆう事だよね…。
そんな事出来るわけ…ない。
【今から僕の家に来ないか?まどかなら友達と旅行なんだ。】
八雲さんの想いが大きくて声が出ない。
首を横に振るのが精一杯だった。
【一度だけでいい。歩の全てを知りたい。】
全てなんて…そんな…虎ちゃんとだってまだなのに…。
いや、そんな事言ったら虎ちゃんとそうゆう関係になってたらいいみたいじゃん!
「帰ります。」
やっと言えた言葉は八雲さんを突き離す言い方になった。
今度は私が八雲さんを傷付けてる。
【ごめん…そんな事言わないで。僕ももう言わないから。】
指が震えてる。
泣いてる…??
気付けば八雲さんの顔に触れていた。
八雲さんの両頬を包むように…。
私何をしてるんだろう!!
自分の大胆さに驚いて手を離そうとした瞬間八雲さんが私の手を掴んだ。
息が止まりそうな程、鼓動が早くなる。
息がかかる距離に八雲さんが居るのがわかる。
それほど顔の距離が近い。
シトラスとムスクの香りに眩暈しそいになる。
八雲さんがそっと私の唇にキスをした。
私は拒否することなくそのキスを受け入れた。
キスされるとわかっていたのに、拒まなかった。
「お姉ちゃんたちチューしてるぅ!!」
子供の声に我に返る。
八雲さんを押して体を離した。
反動で後ろに転んでしまう。
「あっ!」
周りの人が声を上げる。
私の体を支えるように八雲さんが起こしてくれた。
【ごめん。調子に乗って…送るよ。】
謝らないで…。
私も望んでしてしまった事だったから。
頭の中で虎ちゃんに呼ばれる声が聞こえる。
私…最低だ。
自分がこんなに意志が弱い人間だとは思ってなかった。
八雲さんの頬に触れた時には、キスできる距離だと思った。
事故のキスじゃない。
故意でしたキス。
私…八雲さんが好き!?
ううん、虎ちゃんが好き。
虎ちゃんが悲しむとこなんて見たくない。
でも……あぁそっか二人共好きなんだ…。
こんな事ありえない。
わかってるのに心が二つに分かれてる。
子供の私には理解出来ない。
帰り道、私たち二人はどちらからも話さなかった。
話せなくなっていた。
次の約束などせず、八雲さんは昨日約束した通り
【これで、さようならだね。元気で…。】と弱々しく文字を書いた。
八雲さんと駅で別れて理沙に電話をかけた。
理沙は電話に出なかった。
電話を切った後、涙がこみ上げてきた。
周りの人の目なんて気にならなかった。
このまま八雲さんと別れてしまうことが、たまらなく嫌だった。
でも私には虎ちゃんがいて、八雲さんにはまどかさんがいる。
どうすることもできない。
私は止めていた足を一歩踏み出した。
不意に腕を掴まれた。
振り向くとシトラスとムスクの香り…。
八雲さんだとすぐにわかった。
香りだけじゃない。
彼の手の感触を覚えてた。
今日ずっと一緒に居て彼の手の感触は刻まれたから。
抱き締められた腕の中で、このまま一緒に居たいと思った。
何度も何度も心の中で虎ちゃんに謝った。
私は八雲さんと一緒に居たい。
私も八雲さんの全てを知りたい。
知って欲しい。
私だけの八雲さんでいて欲しい。