ハコイリムスメ。
俺は、どうして離婚をしないんだと訊いた。


すると彼女は、ほかにすがる場所がなかったからよ、と、答えた。




[父も母も私とお姉ちゃんが小さいころに事故で死んでしまって、遠い親戚に育てられたの。だけど私はこの通り、耳が聞こえないでしょう?私を疎ましがる親戚のおばさんと暮らすのは、重苦しくて大変だったの]


だからこそ、姉妹の絆は強かった、と、彼女は続けた。


[成人してからも連絡を取り合って、週に1度は食事をともにしていたわ]

[それなら、その姉貴に頼ればよかったじゃないか]

[…そうね、いいえ、正しくは『そうしていた』のよ]



出会って結婚してしばらくは、葵の父親はとても優しい男だったという。
けれど彼の上司がひどい偏見の持ち主で、彼の奥さん、つまり葵の母親がろうあ者と知ると、あからさまな嫌がらせをするようになったらしい。

本社の出世頭だった彼を左遷させたり、あることないことを並べたてて減給に仕向けたり。

ついに彼は「気がふれて」しまった、と彼女は震えた字で記した。




[凄い剣幕でなにかを怒鳴り散らしながら私を叩いたわ。私には音が聞こえないから、よくはわからなかったけれど。

そうして、夫は真央が生まれたことを隠すと言い張った。姉に相談したら、小夏ちゃんは、私が旦那と行って、話をつけてあげるから、もう大丈夫よ、って。そう言って笑ったの。ああ、もう大丈夫だって思った。千晶さんには何度も会っていて、いい人だってわかっていたし。

……でも、それが私の過ちだったのね]


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