ハコイリムスメ。

俺は勝手に流れ出る涙を止める方法がわからなくて、ひとしきり泣いた。


泣きたいわけじゃない。

悲しいんじゃない。




それなら、この感情はなんだ?




その時、リビングの扉が開く音がした。
葵の母親が恐怖の色を浮かべてドアを見つめていたので、俺は涙を乱暴に拭いながら視線をたどって振り向いた。


「誰かな君は」


ダークグレーのスーツに、青と濃紺のストライプのネクタイ、水色のワイシャツをぱりっと着た男が、穏やかな言葉とは裏腹の鬼のような表情を浮かべて俺を見ていた。


「お前が部屋に上げたのか、小春」


男の唇の動きを必死に見つめていた母親は、一瞬考えたようだった。けれどもすぐに小さくはっきりと頷いた。


「誰が許可した?こんなガキ上げてなんのつもりだ?」

[ちとせくんなのよ、守さん]

「……『ちとせ』?」


彼女の震えた文字を見てから、俺のほうに近づいてきた。
俺はイスに座ったまま、動かない自分の足に恐怖していた。


「誰だったかな、僕は人の顔と名前を覚えるのが何より苦手でね……小春、この少年に何を話した?」

[なにも]

「白々しい!」


パアン!と乾いた音が響いた。

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