マネー・ドール -人生の午後-
『ガガガガ』
その音に、私達は、カラダを、止めた。
テーブルの上の、将吾のスマホ。画面には……凛ちゃんと碧ちゃんの写真と、名前……
「……おかえり。ああ……もうすぐ帰るから、宿題しとけ……え? ママ? 仕事やろ……パパはちょっと……用事や……うん。わかった……わかった、こうて帰るから……」
ママ……パパ……
「……凛や……お菓子買ってこいって……」
「クッキーがあるの。貰ったんだけど、食べないから、娘ちゃん達に持って帰ってあげて」
私は服を着て、キッチンへクッキーを取りに行った。もう、その場には、いられなかった。
黙って服を着る将吾。俯いたまま立ち上がって、スマホと、タバコをジーンズのポケットに入れた。
現実。
これが、現実。
玄関で、クッキーを渡すと、将吾は俯いたまま、ありがとうって、呟いた。
「……将吾……」
涙を堪えるのは限界だった。
でも、何を言えばいいのかもわからなくて、ただ、将吾から離れたくなくて、私は、彼の体に強く、抱きついた。
「真純……幸せにな」
将吾は私の手を優しくほどいて、背中を向けた。
「将吾……私……あなたが……」
「子供はな……裏切れん」
押し殺した将吾の一言は、私の心臓に突き刺さって、ドアが閉まって、オートロックのドアは、かちゃりと、鍵を閉めた。
カラダに残る、微かな彼の匂い。まだ濡れている、私のカラダ。鳴りやまない、心臓の音。
「将吾! いかないで!」
聞こえない。誰にも聞こえない。聞こえない……ここは、防音のついた、高級マンション。大きな声で叫んだのに、聞こえない。
「将吾! 将吾! 戻ってきて! 戻ってきてよ……あなたが好き! あなたが……好き……なの……将吾……」
苦しい……胸が苦しい……こんなに、辛いの? 愛する人と別れるって、こんなに……辛かったの?
将吾……ごめんなさい……あなたは、とっても辛かったよね……
あの日、別れを告げた、あの日の、あなたの目。悲しそうだった。悲しそうに、私を見た。
振り返りもせず、あなたを捨てた私。あなたを、捨てた……捨てたんだね……私が、あなたを捨てた。
手紙……あんな手紙があるから……
コンロで火をつけて、シンクの中で、古い手紙は、大きく炎をあげて、そして、一瞬で、黒い、灰になった。
でも、私の気持ちは、灰にはならない。炎をあげたまま、その炎は、青白く、冷たく、私を、支配する。
「わかってるの……」
カウンターには、新しく買った、ヘンケルのナイフセット。
料理してって、慶太が買ってきた、ナイフセット。
「いなくなれば、いいのよ……」
久しぶりにかける、BMWのエンジン。
聡子さんは確か……将吾の会社で、事務をやってるって……