マネー・ドール -人生の午後-
「ちょっと、いいかな」
外で、中村くんの声がした。
「どうぞ」
ドアの外には、中村くんと、おまわりさんが立っていた。
「……近所の人が、通報したみたいなんだ……」
中村くんが、小声で聡子さんに耳打ちした。
「何があったんでしょうか」
ガタガタと手が震え始めた。
どうしよう……こんなこと……私、大変なことをしてしまった……聡子さんに、大変なこと……慶太にも、慶太のお父様にも……どうしよう……
「何もありませんよ。ちょっと、口論になったんです。でも、もう大丈夫ですから」
聡子さんは笑顔で言ったけど、おまわりさんは私を見て、
「そちらの方、ケガをされてるみたいですが」
「少しもみ合いになって、転んじゃったんです。もう歳だから、ふんばりがきかないのかしら」
明るく、冗談っぽく、聡子さんは、おまわりさんに言ってくれた。
「そうなんですか?」
でも、私は、黙って頷くしかできない。
「……刃物を持った女性がいたそうなんですが」
「そんな人、いません。ねえ、社長」
「あ、ああ。見間違いですよ」
「そうですか。念のために、お名前を伺えますか」
私達は名前と連絡先を言って、おまわりさんは、訝しげに私を見て、帰って行った。
「……ああ、あのBM、門田さんの車?」
「うん」
「ちょっと動かすから、キー、いい?」
「もう、帰るから……」
立ち上がった私を、聡子さんが制した。
「運転は、無理よ。もう少し、ここにいて」
左手からはまだ血が滲んでいて、右手はガタガタと震えている。
「落ち着くまで、ここにいればいいよ」
中村くんは私からキーを受け取ると、車を動かしに行った。
「ご……ごめんなさい……私、なんてことしてしまったの……」
「真純さん、これ、見て」
聡子さんは、Tシャツを脱いで、背中を向けた。そこには、ほとんど一面に、大きな火傷の痕があった。
「驚かせてごめんね」
「どう、したの……」
「子供の頃、家が火事で焼けてね。両親と妹が死んで……私は生き残ったけど、こんな火傷してね」
ふうっと息をついて、Tシャツを着て、窓の外を見てる。
「この傷痕が、ずっとコンプレックスでね。年頃になっても、なかなか恋もできなくて……初めてだったの、将吾が。この傷痕を見ても、何も言わなくて、変わらなかった人……」
将吾は、優しいから……私にだけ、優しいんだと思ってたけど……違うんだね……
「わかってたわ。将吾があなたのこと忘れられないことも、顔の似てる私は、あなたの代わりだったってことも。それでもね、将吾は優しかった。必死で、あなたの影を消そうとしてた。私を抱きながら、あなたを思い出すことを、とっても苦しんでた」
彼女は、無表情で、話し続ける。
「だからね、私、子供を生んだの。家庭を作ったのよ。将吾は家庭を大切にしてくれてる。それだけがね、私が将吾をつなぎとめる、たった一つの方法だった」