マネー・ドール -人生の午後-
 キッチンでは、フワフワしたフリースのワンピースを着た真純がシチューを作っていた。いい匂い……腹減った。
「おかえり。もうちょっとだよ。ビール、飲む?」
「いや、いい。呼び出しあるかもしれないし」
ああ、なんか、夫婦って感じ! 家着のスエットは……あれ? これいつから着てる? ちょっと、臭うな……えーと、新しいスエットは……どこだっけ? ああ、あった、ここだ。もう、ごちゃごちゃしてて、何がどこにあるのやら……
俺の部屋も、森崎さんに掃除してもらいたいけど、一回断ってるし、なんか頼みにくくて、早十六年。

「美味しいね」
「今日はね、ちょっといいお肉使ったんだよ」
「へえ、そうなんだ」
口元に運ぶスプーンに、ちょっと口紅がついてる。ああ、俺はそのスプーンになりたいよ……
「田山くんから、電話あってね」
「え?  田山?  なんで?」
なんか、むかつく。なんだよ田山。
「もう、リフォームのことだよ」
「ああ、そうか」
「田山くんがデザインしたいっていうんだけど、いい?」
「うん、いいよ」
っていうか、どうでもいい。
「全部デザインするのは初めてなんだって。だからね、料金も安くしますって」
「ふうん」
俺の気のない返事に、真純はおもしろくなさそうにテレビをつけた。
「なんか、あった?」
「別に」
あったと言えば、あったけど……これは完全に、墓穴を掘るってやつだよな……
「ご機嫌ななめね」
「そんなことないよ」
「だって、事務所でも変なことばっかり言うし」
「変なこと?」
「山内くんのこととか」
なんだよ。せっかく早く帰ったのに、山内とか田山とか、うんざりだよ!
「お前がイチャイチャするからだろ!」
あ、しまった……つい……
「ごちそうさま」
 真純は早々に食べ終わって、席を立って、ソファに行ってしまった。どうやら、機嫌を損ねてしまったようだ。
「真純、ごめん」
返事がない。マジで、怒ってるじゃん。背中を向けて、ソファの上で三角座りをしてる。
「ごめん、大きな声出して……」
「しらない」
「ごめん。ほんとに、反省してる」
「慶太なんて、嫌い」
そんな……せっかく早く帰ってきたのに……俺が悪い。百%、悪い。
「そんなこと、言うなよ……」
 慌てて、真純の背中を抱きしめると、クスクス笑い出した。
「なんだよ……」
「ビックリした?」
芝居かよ……
「うん。ほんとに怒ったのかと思った」
「ねえ、もしかして、ヤキモチやいてるの?」
「そ、そうだよ……」
「そっか。ごめんね」
「だって、山内と楽しそうだから……田山のことも、かっこいいとか……言うしさ……」
 もじもじする俺を、真純は、ちょっとびっくりした目で見ている。
「ヤキモチとか、やいてくれるなんて思ってなかった」
「真純のこと、ひとりじめしたいんだよ」
 でも、真純は、気まずそうに、言葉を続けた。
「山内くんね、妹さんをなくしてるんだって」
「え? そうなんだ、知らなかった」
「私といるとね、その妹さんといるみたいに思えるって。私、年上なのにね、変なの」
そうか……そういうことなんだ。てっきり、エロ心しかないと思ってたけど。
「私もね、山内くん、年下だけど、お兄さんみたいなの。しっかりしてるし、頭もいいし。つい甘えちゃうの」
甘えちゃう……俺にだけ甘えてほしいのに……
「まあ、ほどほどにしてくれよ。じゃないと、俺、ガマンできなくなっちゃう」
 真純はキャハハと笑って、振り返って、キスをした。お互いに、さっき食べたシチューの味がする。
「慶太しか、好きじゃないもん」
「うん、俺も真純しか好きじゃない」
「リフォームのこと、一緒に考えて」
「正直に言うとさ、わかんないんだよ、インテリアは。わかるだろ? 俺のセンスのなさ……」
「まあ、そうね……」
「真純に任せるから」
「一緒に考えたいの。前に言ったでしょ? 二人で話し合って決めたことないって」
「ああ、そうだったね」
「だからね、今回は、慶太と一緒にしたいの。慶太のがんばって大きくした会社だから、ね?」
真純……そんなに、一生懸命、考えてくれてるんだ……
「わかった。二人で考えよう」
 真純は、嬉しそうに笑った。屈託なく、その時の真純は、本当に、嬉しそうだった。

 そして俺は、猛烈に後悔していた。
勝手に真純のサンプルを出して、勝手に検査したこと。ちゃんと、話し合うべきだったのに……
「片付け、しちゃうね」
「森崎さんさ、毎日来てもらおうよ」
「なんで?」
「そしたら、毎日おいとけるじゃん、食器とかさ」
「そういうわけには、いかないよ」
「真純も大変だろ? 仕事から帰って、ご飯つくってさ」
「普通だよ、それが。私なんて、恵まれてるほう」
そうなんだ……世の中の女性は、大変なんだなぁ。そういや昔、森崎さんが来るってなったとき、ケンカしたなあ。
「手伝うよ」
「ほんと? ありがとう。じゃ、テーブルの上、片付けて、これで拭いて」
こんなことでいいなら、俺にもできるな。
「ねえ、これ、どこに片付けるの?」
「それは、そこの戸棚だけど、どこでもいいよ。わかれば」
これで、子供なんていたら、みんなでこういうことするのかな。なんか、家族って感じじゃん!

「ふう、終わった」
「じゃあ、風呂入ろう」
「一緒に?」
「当たり前じゃん。もうさ、今日一日、俺がどんなにガマンしてたか……」
「もう、エッチなことばっか考えてるんだね!」
「そうだよ。夫婦だからいいじゃん。先入ってるから、早くね」
 
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