マネー・ドール -人生の午後-
 マンションまで送ってもらって、コーヒーでもって、少し上がってもらうことに。子供たちもいるし、別に、いいよね?
「初めておじゃましますね」
「ああ、そうだねえ。誰にも来てもらったことないかも」
 田山くんは、リビングを見て、さすがですね、って言ってくれた。
 コーヒーを淹れている間、田山くんは、二人におねだりされて、似顔絵を描いてる。
わあ! さすがうまいんだ! 美大出だもんねえ。こんなにうまいのに……絵の世界って、難しいんだね……
「上手ねえ」
「人物画は基本ですから。俺は風景のほうが得意でした」
 二人は、リビングで宿題を始めて、私たちはダイニングでコーヒーを。なんだか不思議な感じ。こんな風に、田山くんと、この部屋にいるなんて。
「家具……ないんですね。あの会社の……」
「そうねえ。ベッドだけかな、買ったの」
「企画した家具、使ってないんですね」
 そう。自分が企画した家具、一つも使ってない。あんなに一生懸命作ったのにね……自分が使いたいって思うものは、一つもなかった。
「売れるものを、作ってたわね、私」
「それが仕事ですから」
 彼はそう言って、ダイニングテーブルを撫でて、いい木ですね、と言った。
「野島くん、どうしたんだろう、あれから。気になってるの」
「復職したらしいですけどね、結局、すぐ辞めたみたいです。……あれから、あの部署も変わってしまって、ほとんど辞めたか、異動しました。もうバラバラで、今は昔の、ただの企画部に戻ってるんじゃないかな」
「そう……最後まで、責任持てなかったこと、心残りなの」
「いいんですよ、そんなこと。野島も、部長に謝りたいって、言ってたみたいです。あいつもね、憧れてたんですよ、本当に」
「私に?」
「みんなそうだったんじゃないかな。あの頃いたやつらは、みんな佐倉部長に憧れてた。……俺もですけどね」
 そうなんだ……そうだよね……憧れられたくて、そうしてたんだもん。みんなに憧れてほしくて、私は、『佐倉部長』をやってた。

 自己満足。それしか……なかったのかもしれない。

「田山くんの人生を、くるわせたんじゃないかと思ってるの。キミは、デザイン志望だったのにね……」
「確かにね。でも、あの十年は、後悔してません。俺、才能なかったんですよ。自分でもわかってました。最初に就職したデザイン事務所が潰れて、他のデザイナーはすぐに就職先が決まったのに、俺はデザイナーとしての仕事は決まらなかった。正直に言うと、あの会社も、すぐに辞めるつもりだったんです。デザインの仕事が決まるまでの腰掛のつもりでした」
 田山くんは、子供たちの似顔絵を描いた紙の裏に、私の顔を描いてくれた。
「……似てる」
「何度も描きました。目を閉じてても描けますよ」
 田山くん……
「あの十年があったから、今の俺があるんです。こうやって、佐倉さんの事務所のデザインをさせてもらえるのも、部長に鍛えてもらった俺がいるからです。感謝しています」
 そう微笑んだ彼の顔は、本当に晴れやかだった。
「俺は、すべてに意味があると思っています」
「意味?」
「どんなにつまらないことに思えても、どんなにつらいことでも、悲しいことでも、意味があるって。それを乗り越えた時、きっと、新しい自分になれるって。だから、俺は、後悔しません。そう教えてくれたのは、佐倉部長、あなたですよ」
 挫折した田山くん。よく覚えてる。彼が入社した頃、挨拶もしないし、投げやりで、いい加減で……やる気がないなら帰れって、怒鳴ったこともあったっけ……
「真純さんも、新しい真純さんになったじゃないですか。今の真純さん、本当に別人みたいですよ。自然で、本当に……きれいです」
「田山くんの、おかげだよ」
 私の言葉に、彼は少し俯いて、光栄です、と呟いた。
「真純さん、よかったら、一緒に仕事しませんか。真純さんのプランを見て、社長がぜひって言ってるんです。まあ、男二人ですからね、女性の視点というか、感性がほしいんですよ」
 ありがとう、田山くん。でもね、私……インテリアが好きってわけじゃないの。それにね……
「今は、慶太と一緒に仕事したいの」
「そうですか。俺からすると、とてももったいないんですけどね。じゃあ、気が変わったら、いつでも声かけてください」
 そろそろ、と言って彼は立ち上がって、宿題をする二人のところにバイバイをしに行った。


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