マネー・ドール -人生の午後-
「松永さんの車、あの車だった」
「セルシオだろ?」
「懐かしいね……昔、あの車で……買い物、行ったね……」
 当時のことを、真純が話すのは、初めてだったかもしれない。

 薄い、金とカラダの関係だったあの頃。俺達が、傷つけあったあの頃。
冷たい時間だけが過ぎていた、もう遠い……昔。

「家出した時ね……」
「あの時?」
「本当は、松永さんの家にいたの」
初耳だった。
「松永さん、私の顔を見ても、何も聞かなかった。何も言わず、ただ、ここにいればいいよって。……離婚、したいって言った。もう、別れたいって」
「そう……だよね……」
「あのことが原因じゃないわ。私ね、ずっと、嘘をついたことがつらくて……だから、待ってたの。慶太が、離婚しようって、言ってくれる日を。ずっとね……だから、仕事にうちこんで、家事もしなくなって、慶太と……セックスも、会話すら……できなかったの。逃げてたの、私、慶太から。私……慶太とね……向き合えなかった」

 俺と、同じだった。
 俺もずっと、真純から、逃げていた。
 真純は俺といることが怖くて、俺は真純を失うことが怖かった。
 俺達は、ずっと、すれ違っていた。

「だけど、慶太、メールくれたでしょ? 話し合おうって、戻ってきてくれって。嬉しかった。嬉しかったけど、素直になれなくて、松永さんにね、鍵をつけたいって、言ったの。叱られたわ。そんなことしたら、ますます離れてしまうよって。でもね……負けたくなかったの。バカみたいね、私。慶太にね、ずっと、負けたくなかったの。勝つとか負けるとか、夫婦なのにね。……わからなかったの。将吾は、力づくで、私を愛してくれた。だから、私はただ、将吾に愛されてればよかった。何もしなくて良かったの。かれは、私のこと、全部、受けとめてくれてたから。でも、慶太は……努力しなきゃ、いけなかった。変わらなきゃ、あなたには、愛してもらえなかった。変われば、それで愛してもらえると思ったのに、あなたは……私だけを愛してくれなくて……きっと、私なんて、遊びだって……そう思わないと、私……」
「俺は、金だけだと思ってた」
「そうしないと、私ね……」
「バカだったってことだな、俺たち。ガキだったんだ」
「そうね。ガキ、だったのね」
 握った手は、あったかくて、真純の顔は、化粧が落ちて、俺達は、やっぱり四十路のおっさんとおばさんで……オトナに、なっていた。
「ずっと、考えてたことがあるの」
「何?」
「松永さん、一緒に、暮らしてもらえないかしら」
「真純……」
「私、親なんていないも同然でしょ? だから本当にね、松永さんのこと、お父さんみたいに思ってるの。こんなことになって、松永さんも、これから大変でしょう? 体のことも心配だし、なにより、たくさんお世話になったの。恩返し、したいの」
 嬉しかった。真純が松永さんのことをそんな風に考えてくれてたなんて。
 俺にとっても、松永さんは親父以上に親父的存在で、反対する理由なんて、何もない。
「そうだね。話してみるよ」

 いつの間にか、俺達は、本当の夫婦になっていた。

 会社のこと、子供のこと、松永さんのこと。二人で話し合って、二人で答えを出して、これからのことを、二人で決める。今だけじゃなくて、ずっと、未来のことまで、二人で。だって、ずっと未来まで、二人でいるんだから。
 俺達は、夫婦。
 今日も明日も、ずっと、ずっと。

 ずっと。永遠に。
 俺は、真純と、永遠に、夫婦で……いるはずだった。
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