マネー・ドール -人生の午後-
人生の午後

(1)

 空港には、田山くんがいる。まるで、あの時みたいに、広島駅で、将吾が待っていた、あの時みたいに、田山くんは、私の姿を見て、手を振った。
「遅くなって、ごめんなさい」
「いいえ。行きましょうか」
 田山くんは、スーツケースのキャスターのロックを外して、歩き始めた。でも、私は……
「……田山くん……」
「はい」
「行けない」
 私の言葉に、田山くんは、何も言わず、少し目を閉じて、はい、と微笑んだ。
「チケット、キャンセルしておきますね」
「ごめんなさい」
「佐倉部長は、憧れでした」
「……うん」
「でも、今、俺の前にいるのは、憧れていた佐倉部長ではありません」
「そう、だよね……」
「……一人の女性です。佐倉真純っていう、一人の、女性です」
 田山くんは、ジャケットのポケットから、何かを、私の左手に握らせた。
「あずかったものです」
 これは……慶太のマリッジリング……
「本気で愛してしまう前に、忘れさせてください」
「田山くん……私……」
「言ったでしょう。佐倉さんには、敵わないって」
 搭乗のアナウンスが流れ始めた。
「じゃあ、行きますね。長い間、お世話になりました」
 田山くんは、いつものようにクールにそう言って、一礼して、ゲートへ向かった。
 ……お礼を言うのは、私の方だよ……
「田山くん!……ありがとう……ありがとう!」
 聞こえたか、どうかはわからない。もう、振り返ることなく、田山くんは、人の波の中へ消えて行った。
 
 さよなら、田山くん。本当に……ありがとう。キミがいなかったら、私……今の私は、いないんだよ……

 午後十二時十五分。
 乗るはずだった飛行機は、定刻に離陸して、田山くんを見送って……慶太、やっぱり、私ね、お家に帰りたいな。あなたがいる、私たちがずっと過ごしてきた、あの部屋に……

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