マネー・ドール -人生の午後-
 だけど、杉本。俺さ……お前みたいに強くないんだよ。
 俺、俺……自分がうまくそうできないから、おかしいんだよ。

「杉本、実は……ひかないで、聞いてくれるか」
「なんでも、ゆうてくれよ」
「うん……俺さ……自分が、わからなくなるんだ」
「どういうことや」
 杉本は、身を乗り出して、真剣に聞いてくれてる。
「真純を……なんていうか……支配したいっていうか……全部、俺だけのものにしたいんだよ……」
「惚れた相手やったら、普通のことやろ」
「うん……でも、真純は……俺だけを、その、見てないっていうか……お前のこととか、他の男のこととか……」
「他の男?」
「真純の部下でね……真純に惚れてるヤツがいるんだ」
「そうか……」
 杉本はため息をついて、ごめんって頭を下げた。
「いや、違うんだ。責めてるわけじゃなくて……真純は、俺以外の男のことを考えてしまうことを、大罪のように思ってて……つらそうなんだよ……その真純を見てると、なんか、その……俺の無力さが……あせってしまって……」
 どうしよう……ここまで言ったし……
「……暴力的に、なって……」
「暴力?」
「き、気がつくと、この前も、いつの間にか……首を締めてて……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。佐倉、お前、真純に暴力ふるってんのか?」
「……昔、殴ったことが……その、無理矢理……真純を傷つけたことが……でも、その時は、冷えてて、単純にストレスが溜まってて……でも、今は違うんだよ。セックスがしたいとか、そんなんじゃなくて……普段は、そんなことないんだけど、その、他の男の影がみえると、どうしても、抑えられなくなるんだ……」
「真純は、どうしとるんや」
「我に返って、謝ったら……謝るんだけど、私が悪いからって……」
 杉本は、動揺して、新しいタバコに火をようとしたけど、なかなか火がつかなくて、イライラしたように、そのまま灰皿へ投げ入れた。
「それに……なんか……性癖っていうか……」
「性癖?」
「今まで、その……そんなこと、なかったんだけど……」
 もうここまで言ったんだから、最後まで言ってしまおう。
「真純の、全部が欲しいんだよ……」
「どういう、意味や」
「カラダだけじゃなくて、なんていうか……汗とか……血とか……」
「血……まさか……アレもか……」
 ああ、恥ずかしい。俺、ただの変態じゃねえか!
「そうなるんじゃないかって、怖いんだよ……おかしいよな、俺……おかしいんだよ、絶対……」
「夜は……あるのか?」
「うん。あるよ。満足してる」
「最中に、首を締めたりとかは……」
「そういうのはないんだよ。ほんとに、暴力的になるのは、自分がわからなくなる時で……」
「そうか……」
 杉本は、呟くように言って、押し黙った。
 そうだよな……こんな話、どうしたらいいかわからないよな……
「ごめん……こんな話して……」
「いや……ええんや。思ってること、全部ゆうてくれ」
 ありがとう、杉本……お前がいてくれて、本当に俺、よかったよ。
「怖いんだよ……もしかしたら、俺は真純を……この手で、殺してしまうんじゃないかって……」
「こ、殺……そこまで、なのか?」
「このままだと……そうなるかもしれない……病気かな……」
 泣きそうだ。
 情けねえな、俺……こんなんだから、真純を幸せにしてやれないんだよな……
 
 だけど杉本は、優しく笑って、まるで親父みたいな、顔をした。
「佐倉、俺は親になって、子供ってのは、ほんとに思い通りにならないって思った。親として、一生懸命子供を愛してもな、子供には伝わらないし、愛されてないって、そんなことばっかり言いよる。可愛くても、いや、可愛過ぎて、手を上げてしまうこともある……真純は、外見は大人やけど、中身は子供やからな……」
「俺、どうしたらいいんだろう……」
「正直に、ゆうたらどうや」
「なんて?」
「俺にゆうたみたいに、わからんくなるって」
「そんなこと、言えないよ」
「夫婦やろ」
「そうだけど……」
「真純はな、言葉にしてやらんと、わからんのじゃ」

 隣の杉本は、俺をじっと見た。
 いや、違う。
 俺を見てるんじゃない。杉本は、俺の向こうにいる、真純を見ている。その目は、真純を、探している。

 俺は、確信した。
杉本はまだ、真純を愛してる。それは、許されない。杉本には、家族がいて、真純には俺がいる。
 もし、そのタガがはずれたら、この二人は、どうなるんだろう。
あの夜みたいに、襖の向こうの二人みたいに、愛し合うんだろうか。
 もし俺が真純を抱きしめる手を緩めたら、真純は、杉本のところに行って、杉本は、真純を受け止めるんだろうか。

 全部、俺にかかってる。
それはきっと、二十年前、この罪のない、純粋な男から、大切な女を奪った罰で、本当は幸せになるはずだった女の二十年を奪った贖罪で、俺が罪を償わなければ、全てが、失われてしまう。
 俺はまた、杉本から、いや、もっとたくさんの人間から、当たり前の幸せを奪ってしまう。

 それに、俺というタガがなくなったら、杉本も、自信がないんだろう。
杉本は、真純を一人にはできない。
きっと、別れてからも、真純のことを気にしてたんだろう。心配してたんだろう……あのタクシーで偶然再会するまで、杉本は、真純を忘れたことはなかった。
 でも、それは出さない。理性で、杉本は、それを、抑え込んでいる。必死で、隠している。

 父親になった、同い年の隣の男は俺よりずっと大人の顔をしていて、やっぱり俺は、杉本に負けていた。

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