マネー・ドール -人生の午後-
私達は、少し大きな公園へ。真夏の昼間の公園は、暑いせいか、誰もいなくて、木陰は解放的で、心地いい。
ベンチに座っていると、夏の風が吹き抜ける。ずっと家の中にいたから、すごく気持ちいい。
「どうぞ」
田山くんが持ってきてくれた缶コーヒーを二人であけて、私達は、しばらく無言で、風に揺れる木の葉を見ていた。
「辞めるつもりよ」
「部長……あんな訴え、誰も嘘だってわかってます」
その言葉……ありがとう。そう言ってくれるだけで、私、嬉しいの。
そうね。慶太の言う通り、みんなわかってくれてる。
それでいいじゃない。……いいんだ、もう……私、終わっても、いいんだ。
十八年の努力。
これが、私の、結果。
私の……すべて。
「今まで、ありがとうね」
そして私は、初めて、田山くんに、弱音をはく。初めて、誰かに、弱音を。
「本当はね、こうなる前から……なんかね……疲れちゃってた。私、そんなにね……人の上に立つような才覚もないし、部下の子達の、責任を負うことがもう……いっぱいいっぱいで……」
だけど、田山くんは、優しく微笑んで、頷いてくれた。
「無責任なこと言って、ごめんなさい」
「わかります。俺も、前に言ったでしょう。出世とか、興味ないって」
「そうだったね」
私達は少し笑って、いろんなことを思い出した。十八年。一緒に働いて、十年。
田山くんはずっと、佐倉真純がチーフになって、必死でもがいて、先人たちを蹴落として、部長になって、完璧なビジネスウーマンになっていく時間を、隣で、支えてくれていた。
「好きでした。ずっと」
「全然、気づかなかった。ほんとに」
「そうでしょうね。部長は仕事だけでしたから。目をかけてもらってることは、感じてましたけど、あくまで部下としてしか見てもらえてないことも、わかってました」
相変わらずクールにそう言って、私の左手を握った。
「今も、そうですよね」
「……夫を、愛してるの」
「幸せですか」
重なった手の下で、薬指の、指輪が光る。
「うん」
俯く私の横顔をじっと見て、立ち上がった。
「昼、つきあってください」
私達は、ファミレスでお昼ご飯を食べて、たわいない話をして、二人で笑った。
なぜかわらからないけど、田山くんといると、すごく落ち着く。素直になれる。昔、将吾といた時みたいに、なんでも話せる。
もっと、違った形で出会っていたら、どうなっていたかな。
上司と部下としてでなく、同志としてでなく、ただ、女と男として出会っていたら、私達は、恋におちていたかな。
……ううん、きっと、私達は、こういう形でしか、出会えなかった。
だって、慶太と出会わなければ、今の私はいなかった。きっと、あのまま、将吾と暮らして、結婚して……普通の、おばさんになってた。
田山くんが好きなのは、都会の私。きれい、と言われるようになった後の、仕事だけを追いかける、キャリアウーマンの、私。
「美大時代の友達がね、独立したんですよ。店舗デザインの事務所なんですけど、声かけてくれてて」
「そう」
「デサイナーとしてではないけど……行こうと思ってます」
「うん。いいと思う」
「すみません……」
「なんで謝るの? がんばって」
「部長は、これからどうするんですか」
「わかんない。でも、慶太は……家にいたらいいって言ってくれてるから、しばらくはそうしようかなって思ってる」
「そうですか……なんだか、もったいないな」
もったいない……
もったいない、か……でも、私、他にできること、何もないし……
「まだ、これからのことは、考えられないの」
「俺でよければ、なんでも話してください」
「ありがとう……私ね、田山くんがいたから、やってこれたんだよ」
「そんな……」
「感謝してるの、ほんとに」
田山くんは俯いて、目頭を押さえた。
「月曜日、挨拶に行くね」
「……お世話に、なりました……」
その声は震えていて、膝の上に、涙が落ちて、パンツの色が、微かに変わっていく。
私のために、泣いてくれるんだ……こんな私のために……
私は、隣の震える肩を抱きしめた。上司として、先輩として、最後の、つとめ。
「これからも、がんばるんだよ」
「はい。部長、長い間、おつかれさまでした」
ベンチに座っていると、夏の風が吹き抜ける。ずっと家の中にいたから、すごく気持ちいい。
「どうぞ」
田山くんが持ってきてくれた缶コーヒーを二人であけて、私達は、しばらく無言で、風に揺れる木の葉を見ていた。
「辞めるつもりよ」
「部長……あんな訴え、誰も嘘だってわかってます」
その言葉……ありがとう。そう言ってくれるだけで、私、嬉しいの。
そうね。慶太の言う通り、みんなわかってくれてる。
それでいいじゃない。……いいんだ、もう……私、終わっても、いいんだ。
十八年の努力。
これが、私の、結果。
私の……すべて。
「今まで、ありがとうね」
そして私は、初めて、田山くんに、弱音をはく。初めて、誰かに、弱音を。
「本当はね、こうなる前から……なんかね……疲れちゃってた。私、そんなにね……人の上に立つような才覚もないし、部下の子達の、責任を負うことがもう……いっぱいいっぱいで……」
だけど、田山くんは、優しく微笑んで、頷いてくれた。
「無責任なこと言って、ごめんなさい」
「わかります。俺も、前に言ったでしょう。出世とか、興味ないって」
「そうだったね」
私達は少し笑って、いろんなことを思い出した。十八年。一緒に働いて、十年。
田山くんはずっと、佐倉真純がチーフになって、必死でもがいて、先人たちを蹴落として、部長になって、完璧なビジネスウーマンになっていく時間を、隣で、支えてくれていた。
「好きでした。ずっと」
「全然、気づかなかった。ほんとに」
「そうでしょうね。部長は仕事だけでしたから。目をかけてもらってることは、感じてましたけど、あくまで部下としてしか見てもらえてないことも、わかってました」
相変わらずクールにそう言って、私の左手を握った。
「今も、そうですよね」
「……夫を、愛してるの」
「幸せですか」
重なった手の下で、薬指の、指輪が光る。
「うん」
俯く私の横顔をじっと見て、立ち上がった。
「昼、つきあってください」
私達は、ファミレスでお昼ご飯を食べて、たわいない話をして、二人で笑った。
なぜかわらからないけど、田山くんといると、すごく落ち着く。素直になれる。昔、将吾といた時みたいに、なんでも話せる。
もっと、違った形で出会っていたら、どうなっていたかな。
上司と部下としてでなく、同志としてでなく、ただ、女と男として出会っていたら、私達は、恋におちていたかな。
……ううん、きっと、私達は、こういう形でしか、出会えなかった。
だって、慶太と出会わなければ、今の私はいなかった。きっと、あのまま、将吾と暮らして、結婚して……普通の、おばさんになってた。
田山くんが好きなのは、都会の私。きれい、と言われるようになった後の、仕事だけを追いかける、キャリアウーマンの、私。
「美大時代の友達がね、独立したんですよ。店舗デザインの事務所なんですけど、声かけてくれてて」
「そう」
「デサイナーとしてではないけど……行こうと思ってます」
「うん。いいと思う」
「すみません……」
「なんで謝るの? がんばって」
「部長は、これからどうするんですか」
「わかんない。でも、慶太は……家にいたらいいって言ってくれてるから、しばらくはそうしようかなって思ってる」
「そうですか……なんだか、もったいないな」
もったいない……
もったいない、か……でも、私、他にできること、何もないし……
「まだ、これからのことは、考えられないの」
「俺でよければ、なんでも話してください」
「ありがとう……私ね、田山くんがいたから、やってこれたんだよ」
「そんな……」
「感謝してるの、ほんとに」
田山くんは俯いて、目頭を押さえた。
「月曜日、挨拶に行くね」
「……お世話に、なりました……」
その声は震えていて、膝の上に、涙が落ちて、パンツの色が、微かに変わっていく。
私のために、泣いてくれるんだ……こんな私のために……
私は、隣の震える肩を抱きしめた。上司として、先輩として、最後の、つとめ。
「これからも、がんばるんだよ」
「はい。部長、長い間、おつかれさまでした」