マネー・ドール -人生の午後-
「ここ、ですかね」
「うん……ここ、よね……」
 慶太の事務所は、郊外のさびれた商店街にあって、古い、小さなビルの一階。
お世辞にも、キレイとは言えなくて、間違ってないか、私は何度も看板と住所を見直しちゃった。
でも、駐車場には、慶太の派手なベンツがとまってるし……間違いないみたい。

 荷物を下ろしていると、慌てた様子で、慶太が走ってきた。
「真純! 迎えに行くって言ったろ?」
「うん。でも、田山くんが送ってくれたから……」
 あからさまに不機嫌になって、ちらりと田山くんを見て、ぶっきらぼうに言った。
「ああ、ごくろうさん」
 もう! そんな態度!
「いえ。お荷物が多いようでしたので。じゃあ……部長、おつかれさまでした」
 田山くんのほうが、よっぽどオトナじゃん。それに比べて、慶太ったら……
「うん。いろいろ、ありがとう。本当に、お世話になりました」
 慶太は田山くんから荷物を受け取って、どうも、って呟いた。
「では、失礼します」
 田山くんは、礼儀正しく、クールにお辞儀をして、背中をむけた。
 彼の気持ちを考えると、私は胸が苦しくて、でも、どうすることもできなくて、ただ、彼を見送るしかできない。

 もう、お別れなんだね。田山くん。
叱ったこともあったよね。
ケンカしたこともあった。
でも、いつもいつも、私を庇ってくれて、私をたててくれて、私を支えてくれたね。

 もしかしたら、私、キミの人生を、狂わせてたのかもしれない。
 私に出会わなければ、キミは今頃……

 そう思うと、私は、涙を堪えられなくなって、でも、何も言えなくて、俯いたまま……

「田山くん」
 私の隣から離れて、車のドアを開けた彼に声をかけたのは、慶太。
 ちょっと、何? 何を言うつもり? 
「はい?」
「今まで、真純が世話になったね。本当に、ありがとう」
 慶太……そんな風に、言ってくれるんだ。やっぱり、オトナだね、慶太。やっぱり、素敵。
「……いえ……お世話になったのは、僕の方です」
 田山くんも、ちょっとほっとしたみたいに、素直に、そう言ったんだと思う。  
 なのに……
「これからね、真純はボクの会社で働いてくれるんだよ」
 え? 何? そのイヤミな顔!
「……そうですか」
「八時間、毎日一緒に仕事して、家に帰っても、一緒なんだ。ケンカでもしたら大変だな」
 慶太は、ふふんって、鼻で笑った。
 もう! わざと、そんなこと言って! 性格悪い!
 だからほら、田山くんも、明らかに不機嫌な顔になったじゃない。
彼、めちゃめちゃ、気が強いんだから!

「佐倉さん。今まで、俺は部下として、部長、いえ、奥さんを支えてきたつもりです」
「そうみたいだね」
「これからは、それもなくなります。俺も……一人の男として、真純さんを支えたいと思ってます」
「……君に、真純さん、なんて呼ばれたくない」
「俺は、本気ですよ。これからは本気で、真純さんを、奪いにいきます」
「宣戦布告かよ! やれるもんなら、やってみな。お前なんかに、真純は落とせないからな!」
「ええ、遠慮はしませんから。では」
 田山くんは、慶太を一瞥して、ドアをバンって閉めて、エンジンをふかして、車を出した。
「なんだよ、あいつ!」
 慶太は田山くんの車を睨みつけて、舌打ちして、一人でぷんぷん怒ってる。自分が蒔いた火種なのに……バカなの?

 でも……
「ああ、ごめん。なんか、感情的になっちゃった。さ、みんなに紹介するね」
 時々、慶太が別人みたいに見える時がある。
私にはとっても優しいのに……どっちが本当の慶太なんだろう。
「うん、あ、これ……みんなで食べて」
 さっき買ったケーキを渡すと、慶太は、ありがとうって、優しい顔で、微笑んだ。

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