心も体も、寒いなら抱いてやる
部屋に残されていた家族あての手紙から、父が抱えていた秘密が、離婚したいと言い出した理由が明かされた。
 

「けいこ、みのり、太一へ

いつか自分が何者かわからなくなったときのために手紙を書いておくことにした。

実は少し前から物忘れがひどくなり、思い切って検査を受けてみたら若年性アルツハイマーだと診断された。

今はまだ初期だからなんとか生活していける。

だけど、そのうちどんどん脳が委縮して、いつかなにもわからなくなってしまうそうだ。

家族に迷惑をかける。

迷惑をかけていることすらわからなくなる。

そんな風にはなりたくない。

そんな風になる自分の姿をみんなに見られるのはつらすぎる。

みのり、新宿で父さんを見かけたのは友人から紹介された病院に行くところだった。

浮気じゃないぞ。

太一、成人したお前と酒を飲みに行くのを楽しみにしていたが、どうやら叶うのは難しそうだ。

けいこ、最後まで守ってやれなくて本当にすまない。

勝手ですまないが、みんなにはまだちゃんとした父親であり夫だった俺を覚えていてほしい。

家族の顔をみんなのことを忘れる自分なんて耐え難いから。

このところ夜に寝るのが怖い。

明日にはもっといろんな記憶をぼろぼろと夢の中に落としていそうで。

そして朝起きて変化がないと、ほっとする、そんな毎日だ。

でもあきらめたわけじゃない。

病気の進行を止めるべく頑張るし、治ってくれればいいと思ってもいる。

この手紙が皆にわたらなくて済むことを祈って―――。

追伸 けいこ、もしもの場合に離婚届を添えておく。必要なときには提出してくれ」
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