狂愛
狂愛

彼はとてつもなく底意地が悪い。
考え方がひねくれ過ぎているのだ。

「神田(カンダ)さん、お疲れ様です。」

「お疲れ様。」

会社のエントランスで帰り際に頬をピンクに染めた女子社員が彼に挨拶をしていた。

彼はお得意の"王子様スマイル"を彼女へと向ける。
私には一度も向けてくれたことのない笑みを。

それを素通りして彼と待ち合わせしている人通りの少ない会社近くの裏道へと向かう。
歩いて5分くらいの道のりだが、私の方が早く行かないと彼にいったいどんな酷い仕打ちをされるのか分からないので急ぎ足で歩いた。

待ち合わせ場所に着いて15分くらいしてから彼の車が現れた。
その後部座席に乗ると車は私達の住む部屋へと走り出した。

というか、来るのが遅すぎる気がするのは間違いではないはずだ。
私は彼がエントランスにいたのをしっかり見たのに何故彼はここまで来るのに15分もかかったのか問いただしたい。
しかも今は12月。冬の夜がどれだけ寒いか知らないのかこの男は!

彼とは小学生の頃からの付き合いだが、私はその頃からずっと彼のことは苦手だ。
理由なんて簡単だ。
彼は底意地が悪過ぎるからだ。

私はいつも彼の意地悪の標的だった。
何故彼がこんなに私に酷い事をするのかが分からない。
嫌いなら放っておけばいいし、関わらなければいいのに。

しかも運の悪いことに、彼と私の両親は大学時代からの友人だったようでとても仲が良く、お互いの家で一緒にご飯を食べたりお酒を飲んだりしている両親の見えないところでもよく意地悪をされていた。

彼には兄と姉がいて、私には姉と弟がいる。
どちらの家も3人兄弟だ。
神田家の三兄弟はみんな美形だ。
だが、彼のお兄さんとお姉さんはとても優しく良い人達なのに、何故彼だけこんなに性格がネジ曲がってしまったのかが大きな疑問である。

そんな昔の事を考えている間にマンションに着いた。
私は彼が車を降りるよりも先に降りて、先回りし、マンションのオートロックの入口を鍵で開けてエレベーターのボタンを押してエレベーターが1階まで降りてくるのを待つ。
そうしてスムーズにエレベーターに乗れるように準備していないと彼は不機嫌になるのだ。
お前は何様だと訴えたい。

今日もなんとかスムーズに6階の部屋までたどり着き、ひとまずホッとする。
そして、私は休む暇もなくお風呂の準備をしてから夕食の仕度を始めた。
会社で働いた後に家でも働かないといけない。
どうして私はこんな男の為に苦行を強いられないといけないのだろうか。
まだ学生時代の方がマシだったと心の底から思う。

私達は恋人同士ではない。
もしも彼がこんな性悪ではなく私のことを想ってくれる優しい恋人だったら私だって仕事で疲れた後でも恋人のために食事を用意する事にこんなにも苦痛を感じる事はないと思う。

だが、私も長年の付き合いで彼に情が移ってしまっている。
彼がこんな我が儘で横暴な態度をするのは私にだけだ。


食事が出来てから彼を呼ぶと彼は自分の部屋から出てきてご飯を食べ始める。
そして一言。
「なんか今日手抜きだな。」

―イラッ

どうして私がそんなことを言われないと行けないのか分からない。
私は彼と同じくらいの時間仕事をした後、彼はくつろいでいる間に私はご飯を作りお風呂まで準備していたというのに。

「文句あるなら食べなくていいよ。」
私も日頃からのイライラが溜まってつい喧嘩腰になってしまい、言った後に心底後悔した。

「へー。舞香(マイカ)の分際で俺に歯向かうなんていいご身分になったもんだな。」

彼の表情が一気に凶悪になる。
この表情を会社の女の子みんなに見せてやりたい。
全然、全く『王子様』なんかではないと目が覚めるだろうに。


でも、結局私は彼に従ってしまう。
嫌で嫌で仕方ないし、彼のことは苦手だった筈なのに。

こんな彼も礼儀というのは分かっているようで、私達が一緒に住むことに関しても彼が私の両親に頭を下げてから了承を得ているのも知っている。
彼は私が知らないと思っているのだろうが。

私だって何だかんだで彼と一緒にいることが当たり前になっていて、本当に嫌なら彼から逃げ出せるのにそれをした事は一度もない。


そして、私が何故か彼に謝らなければならない雰囲気になり仕方なく「ごめんなさい。」と言えば「それでいいんだよ。俺に歯向かうな。」と言われる。

何なんだこの関係は。
本当に不毛だ。
彼は私のことを同じ人間と認識しているのかも怪しい。
彼が私の両親に頭を下げていたのは何かの幻だったのではないのか…
遠い目をして5年も昔のことを思い返す。

あの日彼が私の家から立ち去ると、両親は大喜びで私の部屋まで飛んできた。

「秀輝(シュウキ)くんから聞いたわよ!わざわざ改まらなくてもずっとあなた達が付き合ってるのは知ってたんだから気にしなくてもいいのに。ね?あなた?」

―付き合ってはいませんけど。

私は心の中でツっこんだ。

「そうだな。秀輝くんなら安心だ。今までも舞香を大切にしてくれていたのは父さん達も見ていたしな。」

―大切?意地悪しかされたことありませんけど。


しかも、私は彼に一緒に住むことなんて何も言われてなかった。
無理やり同じ会社の面接を受けさせられ、彼にみっちりと指導され勉強させられたかいもあってか、私達は同じ会社の内定をもらえたのだ。
だが、一緒に住むなんてそんな一大決心が必要なものを勝手に一人で決めてしまうなんて。
後から彼にどういうつもりなのか聞いた私はどんなに勇気がいったことか。

だが、彼は「この俺の身の回りの世話をさせてやるんだから有り難く思うんだな。」
と言いやがった。
「そんなの付き合ってもないのに、ありえない!」
と何度も訴えたが聞き入れてもらえず、とても嬉しそうな私達の両親がやる気満々でマンションを見つけてきて彼に「ここに決めたから。」とだけ言われた。
そして今にいたる。

彼は昔から頭が良かった。
まぁ当たり前と言えば当たり前だ。
彼の本性を知るのは彼の家族と私と彼の親友2人くらいなのだ。
私の両親は彼の本性を知らない。
人を操るのが上手いのだ。

そんな彼に付き合わされて、高校受験も大学受験も必死で勉強させられた。
「俺と同じところに受からなかったらどうなるかわかってるよな?」
恐ろしい笑みを向けられて、私は自分の身を守るために一生懸命だった。
そのおかげで無事に大手企業に就職できたので文句は言えないし、一応感謝もしている。

よくよく考えてみれば、彼と離れた方が自分の身を守ることになったのではないかとも思うが、今更だ。


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