琥珀の記憶 雨の痛み
――彼女が初めてその特別な呼び方をした時、ナツがあからさまに顔を歪めたことに、幸いにも気が付いたのは私だけのようだった。


彼がいくら「堅苦しいからさん付けはやめてよ」と言っても、年上だからという理由で頑なに『タケさん』と呼んでいたはずの彩乃ちゃんが。

ある日から突然彼を『先輩』と呼び始めたのは、単に2人の出身中学が同じだと分かったからだった。


多分、彼女にとっては最初、その呼び方をすることに、特別な意味などなかった。
けどこの場所では、その響きは確かに特別で。

……特別な意味を持って、私たちの耳には聞こえて。
私たち――私とナツ、には。


呼び方が変わったことで、彼ら2人の間にはどこか親近感が湧いたようだった。

先輩・後輩という認識が強まったからか、はじめは妹を可愛がるような、兄に甘えるような接し方ではあったけれど……。


――面白くない。
どんどん仲良くなっていく2人の様子に、正直に不安と不満を顔に出せるナツが羨ましかった。

ナツは「彼女、タケのこと狙ってると思う?」と、あろうことか私に相談してきたくらいだ。


嫌だ、と、本心では私も思ったのに。
私は口にも顔にも出せない。


同時に、呼び方ひとつであからさまに顔色を変えたナツの想いの強さが、怖くて。
逆の立場に立った時にどういう気持ちになるのかも、思い知らされて。


ナツだけじゃなく、まさか彩乃ちゃんも?
そんな要らない不安まで、加算されて。


『待ってるよ』――その声はもう、遥か昔のような記憶。
再生しすぎてくたびれた古いレコードみたいに頼りない。


『莉緒が、誰の目も気にせずに、俺のこと名前で呼べるようになるまで』


きっとそんな日は、来ない――。
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