琥珀の記憶 雨の痛み
「お疲――……あれ」

「莉緒さん、遅ーいっ! もう、取られちゃいましたよ席っ」

社食で見つけた彩乃ちゃんの席に近寄ると、拗ねたように頬を膨らませながらも彼女はどこか可笑しそうに笑いを噛み殺していた。


「莉緒、大丈夫そっちも席取ってるから。早く飯もらっておいで」

「――タケ。お疲れ様」


彩乃ちゃんの隣に、彼はもう座っていて。
その向かいの彩乃ちゃんが確保してくれていたらしい席には、青果コーナーのユニフォームのキャップが置かれていた。


「やっぱりユウくんに取られたか。さっき更衣室の前で会ったんだ」

ユウくんの帽子が置かれた席の隣に自分のポーチを置き、代わりに席取りのためにそこに置かれていたメモ帳を手に取った。
使いかけのメモ帳は、最後のページが開かれてボールペンで留めてある。

品番らしき英数字の羅列と、在庫のカウントか何かなのか、その横に少し空白を置いて数字。
走り書きのメモにしてはとても綺麗に並んでいた。


「これタケの? ありがと。――綺麗な字、書くんだね」

少し首を傾げて目を細めた彼は、何も言わずにすっと手を伸ばしてくる。
その手にメモ帳を返す瞬間、僅かに指先が触れた。


「タケのそれ、日替わりランチ?」

慌てて手を引きながら、話を逸らす。

彼の魚の煮付けがメインの和食を指して聞いておいて、返事も待たずにその隣へ視線を移す。
彩乃ちゃんが食べてるのは冷やし中華だ。


「冷やし中華、美味し?」

「うーん、それなりです。中華はホントは熱々の辛いのが好きなんだけど、夏場は食べる気しないから妥協です」

「よく言う。こないだ麻婆豆腐が辛すぎるって文句言ってたクセに」


汗だくで口の周り真っ赤にして、と横からからかわれて、彩乃ちゃんは「もうっ」と口を尖らせた。


「……私も冷やし中華にしよ。買ってくるね」


逃げるように席を離れ、食券の列に並んでからちらりと窺うと、2人がデザートの杏仁とオレンジを交換する瞬間だった。

――もう、見慣れた。
だから別に、心は痛まない。


私が『タケ』と連呼しても、彼がいちいち顔を歪めなくなったみたいに。
この距離に、少しずつ慣れていく。
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