黒太子エドワード~一途な想い
10章 オーレの戦い

黒太子の子

 ちょうどその頃、黒太子には吉事が訪れていた。妻のジョアンの懐妊である。
「男か? 男ならば、よいな!」
 妻、ジョアンの少しずつ大きくなってきたおなかをさすりながら彼がそう言うと、ジョアンは赤い顔で恥ずかしそうにうつむいた。
「トマスにも子が授かるというのに、母の私が又、懐妊だなんて、恥ずかしいですわ」
「何を言う! 私にとっては、初めての子なのだぞ!」
 黒太子が真顔でそう言うと、ジョアンは少し困った表情で微笑んだ。

 その少し前、ジャン2世は病死している。
 それを受けて、王太子シャルルはシャルル5世として即位する。1364年6月24日のことであった。
 正式にその臣下となったベルトラン・デュ・ゲクランは、ノルマンディーのコシュレルで、ナバラ王カルロス2世に勝利し、ロングウィル伯の称号を得ていた。
 イングランドとフランスの戦いが益々混迷の度を増してきた時であった。
 そして、ついに戦いの火蓋は切って落とされる。
 
 1364年9月27日、亡きジャン・ド・モンフォールの嫡男、ジャン4世が、ジョン・チャンドスの支援を受けて、シャルル・ド・ブロワ側のオーレの町を攻撃、町中の城壁を包囲したのである。
 世にいう「オーレの戦い」であった。
 27日には、ブロワ側にベルトラン・デュ・ゲクラン率いる援軍が到着。翌28日には、城の前を流れる川の左岸に展開したのだった。
「ええい、この期に及んで、面倒な! 城側には、十分な食料が無い故、ミクルマス(9月29日)までに援軍が来なければ開城することになっておったというに!」
 「ミクルマス」というのは、中世の祝祭日で、ミカエル祭 Michaelmas Day と言った。
 具体的には、聖ミカエルと天使達を祝い、秋の収穫に感謝し、賦課租を納める日であった。
 イングランドでは、家賃を年に4回払う者にとっては、秋の1回分を「ミクルマスの賃貸料」と呼び、学校や大学では、秋の学期を今でも「ミクルマス」と呼んでいる。
 9月になると、町の重要な建物の屋根の上のポールから巨大な手袋が吊るされ、ミクルマスの市の始まりを告げ、あとはお祭り騒ぎだったという。
 そういう時期であったので、戦う意欲も最初から薄かったのかもしれない。
「チャンドス殿、一応、城との挟撃を避ける為、一旦、オーレの町から離れませぬか?」
 しかめっ面の老騎士にそう言ったのは、ジャン4世だった。
 父親のジャン・ド・モンフォールが病でなくなる前、その後のことを心配していた幼い息子は、既に25歳の青年へと成長していた。
 勿論、そんな年なので、約10年程前に結婚もしていた。
 相手は、イングランド王エドワード3世と王妃フィリッパの娘、メアリーであった。
 つまり、ジャン4世は、黒太子エドワードの義理の弟になっていたのである。
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