黒太子エドワード~一途な想い

カレー攻略とジョアンの軟禁

「やはり、ダメか……。この湿地帯では、アヒルや鴨を飼う位しか出来んか……」
 一三四六年一一月。イングランドがカレーの包囲を始めて約二ケ月が経った頃、カレーの町の湿地帯で、エドワード三世はそう言うと、ため息をついた。
 長期戦になると分かっていても、少しでも早く町を攻めたいと思っていたエドワード三世は、本土イングランドから持って来た大砲やカタパルト等を城壁前に並べたが、下が湿地帯で固定出来ないので、どれも使い物にならなかった。
 それに加え、先のクレシーの戦いでは、八月二六日の夕刻には決着が既についていたのに、今度のカレーの包囲は九月四日から始まったというのに、不眠不休でまだ終わらず、兵士達の不満も高まっていた。
「一度、皆の前で演説をするしかないか……」
 エドワード三世はそう言うと、下士官を呼んだ。

「軟禁状態……」
 その頃、職人や商人達による町造りを任され、かなりその概要も整ってきた中、母であるフィリッパ・オブ・エノーを迎えた黒太子は、そう呟いて茫然としていた。
 ケント伯ジョンの姉で、彼の初恋の少女、ジョアンが親戚達により、トマス・ホランドの屋敷から連れ去られ、第二代ソールズベリー伯ウィリアム・モンタキュートの屋敷に軟禁状態にされている、という話を聞いたからだった。
 おなかの子供はというと、無事に出産はしたものの、トマスとの子供ではなく、ウィリアムとの子とする為に、出生の年を来年にすることまで決められているということであった。
「そこまでするか……?」
 これには、流石の黒太子も驚き、その端正で彫りの深い顔をしかめた。
 先のクレシーという大きな戦いを経て、年の割にはしっかりしてきた彼は、逞しい美青年へと成長していた。周囲の女達が頬を染めて囁き合っても、ジョアン一筋の彼は、誰も相手にはしなかったが。
「余程、ジョンとそのソールズベリー伯の間には、何か強い絆のようなものがあるのでしょうね。でなければ、そこまでしますか?」
「おそらく、そういうことではなくて、ジョンがまだ若いから、後見人になってもらおうということなんでしょう。ソールズベリー伯一人だけではなく、モンタキュート一族に」
「それにしても、やりすぎではないですか?」
「そうね。だから、助けてあげたくなるわよね?」
 そう言いながら、フィリッパがチラリと逞しくなった息子を見ると、彼は複雑な表情をしつつも、頷いた。
「そりゃあ、幼馴染なので、助けてやりたいとは思いますよ! でも、まさか、ローマ教皇に手紙を書け、とおっしゃるのではないでしょうね?」
「あらぁ、よく出来ました! その通りよ!」
 悪びれずにそう言って頷く母に、黒太子はため息をついた。
「やはりですか! 母上は、私達子供よりもジョアンのことを可愛がっておいででしたのに、そうじゃないかと思っていたのです」
「あらぁ、嫌ね! 私は、あなた達よりジョアンを可愛がったことなんて、無くてよ? 同じ位、可愛がっていただけよ!」
「はいはい……」
 黒太子がいかにも聞き飽きたという表情でそう言うと、フィリッパは続けた。
「大体、エドワードもジョアンのことが好きだったんでしょう? そんなことに嫉妬していたのなら、言ってくれればよかったのに! そこから、発展していたかもしれないんだから」
「何がです?」
「ジョアンとの仲よ」
「まさか!」
 黒太子が首を横に振りながらそう言うと、フィリッパは微笑んだ。
「あらぁ、でも、そういうものよ。男女の仲って。私とあなたのお父様だって、最初はお父様の母上──つまり、おばあ様のことね。愛人のロジャーとなかり居るって不満たらたらだった時に傍に居て、支えてあげたいと思うようになり、妻になったんだもの」
 そう言うフィリッパの顔は少し赤くなっており、本当に幸せなのが見てとれた。
 だが、実際には、そのロジャーは専横政治を行ない、一時は味方であったジョアンの父も処刑している。それを危険視することはあっても、嫉妬の対象にはしないだろう、と黒太子は思っていた。
 ──とはいえ、言えるわけないよな、この母上に、そんなこと……。
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