黒太子エドワード~一途な想い
二人のジャンヌ
「何ですって? あの人が捕えられ、ルーブルの獄に入れられた、ですって!」
その頃、ジャン・ド・モンフォールの妻、ジャンヌ・ド・フランドルは、その報告を受け、怒り狂っていた。
彼の妻なので、年も彼と同じ五十前であったが、その腕に抱いていたのは、やっと三歳になる嫡男ジャンだった。
「この子を代理として、私が戦を続けます! そして、世に、夫の正当性を訴えます!」
彼女はそう言うと、ドレスの上に革で出来た胸宛などを着、マントを羽織って、馬に跨ったのだった。
後に「女傑」と呼ばれた彼女は、その言葉通り、夫がいなくても戦い続けたのだった。
ただ、流石にブロワ派の勢力が強い、東部の防衛は無理だと断念して、西ブルターニュのエンヌボン Henneboutに籠城したが。
その際、「女傑」らしく、ブロワの包囲を配下の騎士と突破し、ブレストに行って、そこで傭兵の援軍を率いて、エンヌボンに戻る、という芸当をやってのけていた。
──それから約一年間、その様な状況が続いたが、一三四二年八月に停戦が終了し、ノーザンプトン伯ウィリアムとサー・ウォルター・マーニーの援軍が到着、ブレストの海戦で、ジェノヴァ艦隊を破ったのだった。
「面倒なことになったな……」
イングランド艦隊を海上のむこうに見たシャルル・ド・ブロワは、丘の上でそう呟くと、傍に居た兵士の方を向いた。
「撤退だ!」
──この時、撤退したのは、シャルル・ド・ブロワだけでなく、フランス王フィリップ六世もだった。
先のカレー市民とのやりとりと前後するが、この時の王は、イングランド軍にカレーを取られるのを恐れて、ブルターニュから引き揚げたのだった。
その結果、シャルル・ド・ブロワは、たった一人で戦うことになってしまった。
だが、意外にも、彼には戦の指揮の才能があったようで、レンヌとヴァンヌという大都市を奪うことに成功したのだった。
これにより、元々ブロワ派が多かったこともあり、モンフォール派についた者の離脱が相次いだ──。
その頃、ジャン・ド・モンフォールの妻、ジャンヌ・ド・フランドルは、その報告を受け、怒り狂っていた。
彼の妻なので、年も彼と同じ五十前であったが、その腕に抱いていたのは、やっと三歳になる嫡男ジャンだった。
「この子を代理として、私が戦を続けます! そして、世に、夫の正当性を訴えます!」
彼女はそう言うと、ドレスの上に革で出来た胸宛などを着、マントを羽織って、馬に跨ったのだった。
後に「女傑」と呼ばれた彼女は、その言葉通り、夫がいなくても戦い続けたのだった。
ただ、流石にブロワ派の勢力が強い、東部の防衛は無理だと断念して、西ブルターニュのエンヌボン Henneboutに籠城したが。
その際、「女傑」らしく、ブロワの包囲を配下の騎士と突破し、ブレストに行って、そこで傭兵の援軍を率いて、エンヌボンに戻る、という芸当をやってのけていた。
──それから約一年間、その様な状況が続いたが、一三四二年八月に停戦が終了し、ノーザンプトン伯ウィリアムとサー・ウォルター・マーニーの援軍が到着、ブレストの海戦で、ジェノヴァ艦隊を破ったのだった。
「面倒なことになったな……」
イングランド艦隊を海上のむこうに見たシャルル・ド・ブロワは、丘の上でそう呟くと、傍に居た兵士の方を向いた。
「撤退だ!」
──この時、撤退したのは、シャルル・ド・ブロワだけでなく、フランス王フィリップ六世もだった。
先のカレー市民とのやりとりと前後するが、この時の王は、イングランド軍にカレーを取られるのを恐れて、ブルターニュから引き揚げたのだった。
その結果、シャルル・ド・ブロワは、たった一人で戦うことになってしまった。
だが、意外にも、彼には戦の指揮の才能があったようで、レンヌとヴァンヌという大都市を奪うことに成功したのだった。
これにより、元々ブロワ派が多かったこともあり、モンフォール派についた者の離脱が相次いだ──。