黒太子エドワード~一途な想い
コンピエーニュ三部会
「コンピエーニュで三部会、だと? パリで思い通りにいかなかったから、そんな所まで逃げおったか、若造め! しかも『摂政』だと? こんなことになるのなら、あの時、侍従と一緒に始末しておけばよかったか!」
エティエンヌ・マルセルはそう言うと、集会場になっていた倉庫の樽の上に置いていたグラスを床に投げつけた。
中に入っていた赤ワインが床を汚し、その場にいた男のズボンも少し汚れたが、彼はそんなことなど、全く気にも留めなかった。
「念のために防備を! 防備をしっかり固めておかねば!」
彼のその言葉に、大半の男達は頷いたが、ワインをズボンにかけられた男は、憎々しげにマルセルを睨みつけた。
彼は以前、ルーブル宮で侍従殺害が起こった時、「お前も黙ってるんだろうな?」とマルセルに詰め寄った男だったのだが、マルセル自体はそんなことに気付きもしなかった。
彼は彼で、王太子シャルルの反撃を心配していたので。
そして、そんな彼が防備を固め始めた頃、「ジャックリーの乱(Jacquerie)」と呼ばれる農民の反乱が各地で起こり、パリもそれに巻き込まれてしまうのだった。
「ジャックリー?」
エティエンヌ・マルセルは、その名を繰り返すと、顔をしかめながら上着を傍らに居た男に渡した。
時は、1358年5月末。
かなり暖かくなってきていたが、平民の中でも代々裕福な衣類商として育った彼は、薄目の上着を着ていた。衣類商なだけあって、薄くて軽い生地の上着だった。
「はい。農民達の反乱だそうですが、そう呼ばれているようです」
「まぁ、貴族のことは農民のことをジャックJacques と呼ぶからな。それからきてるんだろう。で、指導者は誰で、どこにおるのだ?」
「サン=ルー=デスラン村での暴動がきっかけのようですが、指導者は各地にいるようだとしか、まだ分かっておりません」
上着をかけた、侍従の年配の男が、少し困った表情でそう言うと、エティエンヌは手でそれを制した。
「分かった。じゃあ、交渉出来そうな人物を探してくれ。今も各地に広がっておるのだろう?」
「はい。ピカルディやノルマンディー、シャンパーニュにも飛び火しているようです」
「その調子なら、パリにも来るな」
エティエンヌがニヤリとしながらそう言うと、侍従は頷いた。
「もう既に流入は始まっているようです。そういう土地から来た者達の噂で、居酒屋はもちきりですから」
「いいぞ!」
マルセルはそう言うと、再びにやりとした。
「お前は、さっさと交渉出来そうな奴を探して来い! そして、見つかり次第、教えるんだ! 交渉は私がするからな!」
「はい、かしこまりました。ですが、例のナバラ王の方はよろしいのでございますか?」
「ああ、あの見かけ倒しで役に立たん男か。あいつがどうした?」
「征伐軍を率い、鎮圧にあたるという噂ですが……」
「余計なことを! 本当に、あいつはロクなことをせんな! あんな奴、牢から出してやるんじゃなかった! 金の無駄遣いなだけだったな!」
マルセルがそう言ってため息をつくと、年老いた侍従は少しおろおろしながら尋ねた。
「で、では……」
「捨て置け!」
吐き捨てるようにそう言うマルセルに、侍従は目を丸くした。
「よろしいのですか? 放っておいて……」
「各地に反乱の火が飛び火しておるのだろう? あんな男一人に止められるものか!」
「分かりました」
質素な黒い服に身を包んだ年配の侍従は、そう返事をし、一礼して、その場を後にした。
マルセルはそれをチラリとも見ずに窓の外を見て、にやにやしていた。
おそらく、反乱軍と協力して、今以上の権力を手に入れる夢でも見ているのだろう。
意外な人物の反撃にあい、悲惨な結末を迎えることになるとも知らずに──。
エティエンヌ・マルセルはそう言うと、集会場になっていた倉庫の樽の上に置いていたグラスを床に投げつけた。
中に入っていた赤ワインが床を汚し、その場にいた男のズボンも少し汚れたが、彼はそんなことなど、全く気にも留めなかった。
「念のために防備を! 防備をしっかり固めておかねば!」
彼のその言葉に、大半の男達は頷いたが、ワインをズボンにかけられた男は、憎々しげにマルセルを睨みつけた。
彼は以前、ルーブル宮で侍従殺害が起こった時、「お前も黙ってるんだろうな?」とマルセルに詰め寄った男だったのだが、マルセル自体はそんなことに気付きもしなかった。
彼は彼で、王太子シャルルの反撃を心配していたので。
そして、そんな彼が防備を固め始めた頃、「ジャックリーの乱(Jacquerie)」と呼ばれる農民の反乱が各地で起こり、パリもそれに巻き込まれてしまうのだった。
「ジャックリー?」
エティエンヌ・マルセルは、その名を繰り返すと、顔をしかめながら上着を傍らに居た男に渡した。
時は、1358年5月末。
かなり暖かくなってきていたが、平民の中でも代々裕福な衣類商として育った彼は、薄目の上着を着ていた。衣類商なだけあって、薄くて軽い生地の上着だった。
「はい。農民達の反乱だそうですが、そう呼ばれているようです」
「まぁ、貴族のことは農民のことをジャックJacques と呼ぶからな。それからきてるんだろう。で、指導者は誰で、どこにおるのだ?」
「サン=ルー=デスラン村での暴動がきっかけのようですが、指導者は各地にいるようだとしか、まだ分かっておりません」
上着をかけた、侍従の年配の男が、少し困った表情でそう言うと、エティエンヌは手でそれを制した。
「分かった。じゃあ、交渉出来そうな人物を探してくれ。今も各地に広がっておるのだろう?」
「はい。ピカルディやノルマンディー、シャンパーニュにも飛び火しているようです」
「その調子なら、パリにも来るな」
エティエンヌがニヤリとしながらそう言うと、侍従は頷いた。
「もう既に流入は始まっているようです。そういう土地から来た者達の噂で、居酒屋はもちきりですから」
「いいぞ!」
マルセルはそう言うと、再びにやりとした。
「お前は、さっさと交渉出来そうな奴を探して来い! そして、見つかり次第、教えるんだ! 交渉は私がするからな!」
「はい、かしこまりました。ですが、例のナバラ王の方はよろしいのでございますか?」
「ああ、あの見かけ倒しで役に立たん男か。あいつがどうした?」
「征伐軍を率い、鎮圧にあたるという噂ですが……」
「余計なことを! 本当に、あいつはロクなことをせんな! あんな奴、牢から出してやるんじゃなかった! 金の無駄遣いなだけだったな!」
マルセルがそう言ってため息をつくと、年老いた侍従は少しおろおろしながら尋ねた。
「で、では……」
「捨て置け!」
吐き捨てるようにそう言うマルセルに、侍従は目を丸くした。
「よろしいのですか? 放っておいて……」
「各地に反乱の火が飛び火しておるのだろう? あんな男一人に止められるものか!」
「分かりました」
質素な黒い服に身を包んだ年配の侍従は、そう返事をし、一礼して、その場を後にした。
マルセルはそれをチラリとも見ずに窓の外を見て、にやにやしていた。
おそらく、反乱軍と協力して、今以上の権力を手に入れる夢でも見ているのだろう。
意外な人物の反撃にあい、悲惨な結末を迎えることになるとも知らずに──。