黒太子エドワード～一途な想い

ナバラ王の悪巧み

「軟弱な学者殿下（le Sage）が、パリに入った、だと？　俺達を追い出し、あんなのを迎え入れるとは、パリの市民とは、馬鹿ばかりなのだな！」
　板金の黒い鎧を一部だけだが、その身にまとった男から報告を受けると、茶色の巻き毛の男はそう言って鼻で笑った。
「まぁ、良い。わざわざそんな奴らと交渉せずとも、領地位、手に入れるさ！」
　そう言うと、ナバラ王カルロス２世は、傍に居た男に手紙を渡した。
　その男は、色白の彼とは違い、金髪だったが、よく日に焼けた浅黒い肌をしていた。
「それをイングランドのエドワード３世に渡して来い！　私からだと言えば、すぐに受け取るはずだ」
"Bueno."（わかりました）
　スペイン語で男がそう答え、出て行くのをカルロス２世は顔をしかめて見送った。
"Et il ne parle pas seulement que l'espagnol!"（あいつはスペイン語しかだめなのか！）
　彼が話したのは、フランス語だった。
　それもそのはず。彼の母のナバラ女王ファナ２世から、ピレネー山麓のナバラ王国やコタンタン半島のモルタン伯領等を相続したとはいえ、彼女自身もフランス王ルイ１０世と王妃マルグリット・ド・ブルゴーニュの長女で、フランス名は「ジャンヌ」であったので。
　父方も「ナバラ王フェリペ３世」と呼ばれてこそいたが、フランスでは「エヴルー伯フィリップ」であり、日常使っていたのは、フランス語であった。
　だからこそ、先日のジャックリーの乱でも、反乱鎮圧に動いたのだが、ジャン２世がエヴルーとナバラに侵攻してきた時には、黒太子エドワードと同盟して、反撃していた。
　そういうこともあり、彼が抱えている兵士の大半は、イングランドの傭兵であった。
　が、身の回りのことを任せるのは、現地の者の場合が多かったので、フランス語が何とか理解出来ても、しゃべるのはスペイン語という者が多かった。彼のナバラ王国が、現在のスペイン領にあったので。
　そこまでの彼の状況について知らなくても、あっちについたりこっちについたりする彼のことを快く思わない者もいた。
　それは──。

「何？　ナバラ王カルロス２世から書状、だと？」
　カレーの町で一番大きな屋敷の応接間でそう聞き返すと、エドワード３世は露骨に顔をしかめた。
「今頃、何の用だ？　先日、農民の反乱を鎮めに行ったのではなかったのか？」
「その後、エティエンヌ・マルセルというパリ市民の招きでパリに入り、すぐそこを後にしたようでございます」
　そう答えたのは、口髭が少し白くなってきている、侍従姿の男であった。
「ほう……。では、又、助けてくれとでも書いてよこしたのか、エスター？」
　エドワード３世がそう尋ねると、宮廷革命の前から彼に忠誠を誓っている男は、困った表情になった。
「それが、その……交渉をしたい、とのことにございます」
「交渉？　何のだ？」
　エドワード３世のその言葉に、エスターは老眼鏡をかけて書状に目を通した。
「シャンパーニュとブーリ、ピカルディをくれるなら、言う通りに動き、フランス軍をやっつけると……」
「ははははは！」
　エドワード３世の冷ややかな笑いに、エスターも苦笑した。
「先日はフランス貴族として、農民の反乱の鎮圧にあたったというのに、今度はそのフランス軍をやっつける、か！　よくもまぁ、都合のいいことが言えたものだ！」
「では、返事は無しでよろしゅうございますか？」
「ふふ、当然だな！」
　鼻で笑ってエドワード３世がそう言うと、エスターは微笑みながら頷き、そこを後にしようとした。
「ああ、待て、エスター！　エドワード……王太子には、くれぐれも釘を刺しておいてくれ！」
「かしこまりました」
　エスターは軽く一礼をしてそう言うと、すぐにその場を後にした。