文月~平安恋物語
善成は御簾の内に体をすべりこませた。
枕元には、男物の、紫の紙を張った扇が開いたまま置かれている。
ほんのりと色のついた薄い紙が、几帳のあたりに散らばっているのも、艶めかしく映る。

人の気配にやっと女は目を覚ました。
衣の中からこっそり辺りを窺うと、なんと中将の善成の君が柱に寄りかかってこちらを眺めているではないか。

「貴子姫、久しぶりだね」
善成は優しい笑顔で声をかけた。
「中将さま!」
貴子はあわてて身体を起こす。
「彼と朝まで一緒にいたんだ?」
もちろん善成はその「彼」が誰だか知らない。
貴子は、少し顔を赤くしながら答えた。
「あの人、露がおりるより早く帰ってしまったから、ちょっとふて寝していたのです」
深い愛情があれば、夜が明けるぎりぎりのところまで女性と一緒にいようとするもの。
それなのに貴子の彼は、草に露がおりるよりも早く家に帰ってしまった、薄情な男だというのである。
「人が寝ているのを黙って見ているだなんて、中将さまはお人が悪い」
「寝顔に見惚れてたんだよ。貴女の彼はかわいそうだな。貴女の寝顔が魅力的なの知らないんだから」
軽口をたたきながら、善成は貴子の枕元の扇を、引き寄せようとした。
貴子はさっと身を引いた。
上にかけた衣の他、貴子は何も身につけないままの姿だったからだ。

「なんだ、扇を見れば相手の男性がわかるかと思ったのに、残念だな」
引き寄せた扇を玩びながら、善成が言う。
「まあ、中将さまこそ、ご自宅に帰らないで実家にいるなんて、『わけあり』なのでしょう?」
貴子はからかうような口ぶりで言った。
善成は苦笑いをする。
「……するどいな」
「おかわいそうに。右大臣の姫君は嘆いていらっしゃるでしょうね」
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