文月~平安恋物語
「右大臣の姫……それは善成の正妻であった。
もちろん政略結婚であって、善成と妻の仲はあまりうまくいっていなかった。
善成が他の女性のところに通うのも、実は妻との気づまりな生活を避けてのことだった。
同じ屋敷に住んでいても、善成と正妻はほとんど別居しているようなもの。
とはいえ、あからさまに朝帰り姿を見せるのも気がひける。
実家で朝露に濡れた衣を着替えようとしていたのだが、その魂胆を貴子に見破られてしまったのだ。
「…あんな気の張る奥さんと一緒にいたくないからさ」
善成は大げさにため息を一つつき、話題を変えた。 
「それにしても貴子姫、俺が少し近づいただけでそんなに逃げてしまうなんて、冷たいね。そんなに彼はかっこいいの?俺よりも?」
たたみかけるように言う。
「どこかの女と朝まで一緒にいたくせに、よくおっしゃいますね、そんなこと」
そんな貴子の言葉を軽くいなして、
「わざわざ母屋から見えないようにしているのだから、『わけあり』の男に違いない。宮家の姫を妻にしたあいつか?それともまさか俺の義理の姉たちの婿がこっそり通っているんじゃないだろうな?」
善成は次々に貴族の公達の名前を挙げた。
その中に、貴子の本当の相手がいたかどうかは、わからない。貴子はただ、扇で口元を隠して笑っているだけだった。
「いいじゃありませんか。私が誰と付き合っているかなんて、中将さまには関係ないでしょう。娘を持った父親じゃあるまいし」
「おいおい…。三歳しか変わらない父親がどこにいるんだよ。せめて兄貴にしてくれよ」
貴子の言葉に若干すねて、善成は庭の方を向いてしまった。

そんな善成の様子を見て、今度は貴子が善成から目を逸らした。
兄……父親……。
善成は貴子のことを、妹のように娘のように思っている。
今をときめく善成中将の姪として、それがとても光栄なことだと貴子にはわかっていた。
しかし、と貴子は思う。
貴子にとっての善成は、叔父とか兄とか父親とか、そういう存在ではないのに……。

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