文月~平安恋物語
第二章 十二年前の文月
貴子が母親を亡くして、父方の祖母にあたる大宮の屋敷にひきとられたのは、十二歳の文月、残暑の厳しい頃であった。
貴子の母親は中級貴族の娘だった。宮中に女官として勤めた貴子の母親を見初めたのが、貴子の父、右大将であった。右大将は、左大臣と先帝の御妹であられる大宮の間に生まれたエリート貴族である。右大将には既に宮家の生まれの北の方がいて、正式な結婚ではなかったが、やがて貴子が生まれた。 
貴子は母親の実家で育てられることになった。貴子は、名高い歌人であった祖父から、歌の詠み方はもちろん、物語を書く才能も受け継いでいた。当時紙はとても貴重なものであったけれど、貴子は祖父がくれた紙に物語を書き連ねた。経済的にはそれほど恵まれた暮らしではなかったが、老いてもおおらかな祖父のもとで貴子はのびのびと育ったのだった。

貴子の祖父がこの世を去ったとき、彼女は十歳だった。
頼るべき父親を亡くした貴子の母は病がちになり、貴子が十二歳になったばかりの春にこの世を去った。
既に右大将から大納言に昇進していた父親は、貴子を自分の屋敷にひきとらなかった。
貴子を自邸にひきとってしまうと、継母である北の方に何かと苦労させられるかもしれない。
そこで、貴子にとっては父方の祖父母にあたる、左大臣と大宮夫婦の住む三条邸に預けることにした。
大宮のもとで行儀見習いをし、ゆくゆくは母親と同じように宮廷の女官となる方がいいと大納言は考えたのであった。

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