ネトに続く現の旅
例えば、宝くじで一億円を当てた家族があったとする。そこの家の人々は、みんな日々の仕事や恋愛や、目の前の楽しいことや悲しいことに毎日本気で接して、大笑いしたり号泣したり、たくさんお酒を飲んだり、みんなで揃ってご飯を食べたりしていた。
ある日、一家の主がふと思い出して、番号を調べてみたらなんと大当たり。周りの住民は、どうやって当てたのかと問い詰めた。けれども彼らは、「そんなのわからないよ」と答えただけだった。

つまり何が言いたいのかというと、その家族には大金を呼び込む要素が、自然に身についていたっていうことだ。
彼らは毎日を人間らしく暮らしていただけだけど、当たれと強く念じることよりも、何枚もくじを購入することよりも、本当はそういう上手く説明できないような、普通の事柄の方がずっと大事なのだ。
彼らはなるべくしてそういう結果に繋がったのだと思う。
その家族が、何か言葉にはできないような幸福なものを放っているように、現からもまた、同じようなものが放たれているように感じる。
それをラッキーだ、強運だと称えられても、当の本人にはわからないのだ。永遠に説明することなんてできないのだ。
それも才能っていうものなのだと思う。

「なんでかな、説明するとか、自分の気持ちを言葉にするのとかって、苦手だと思っていたのに、君にはすらすら言葉がでてきた。いや、べらべらか。長々とごめんね。」

そうやって照れくさそうにする現のことを、素直に眩しいと思った。
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