ねがい
長老は風太を立たせ、背中をさすりながら風太を見つめました。
長老の住む部屋は風が吹きぬけ、少し薄暗いけれどとてもいい匂いがしました。
桜の木の周りを飛んだ時の、かすかに甘い香りでした。

「お前は風の子供だ、あの子の喉を震わせる力を持っている。……だけどあの子は声を出すのを怖がっている、声を出せば泣いてしまうから」
「お姉ちゃんは、怖がっているの?」
「そうだ、あの子は自分が泣いてるのを見て、おかあさんやおとうさんが悲しむのを怖がっているんだ。だから声を自分で封じた」
「声が、出ないように…封じた」
「お前があの子の喉を震わせるには、あの子のほんのすこしの勇気と、それからお前という力を全部使って初めて出来ることなんだ、わかるな?」
「うん」
「しかし、お前があの子の喉を再び震わせて、声を出せるようにしてやっても、あの子のところにお前はもう行くことは出来ない。お前がそうすることで、お前が消えてしまうのだから」

風太は長老の言葉に力強く頷きました。
その目に強い光を宿して。

「でもね、ぼくはおねえちゃんにまたあの鈴を転がしたみたいないい声で笑って欲しいよ、長老」

風太の目にはどこにも迷いはありませんでした。
大好きなあかりおねえちゃんに笑って欲しい、声を出して友達と笑って欲しい。
風太の願いはそれだけだったのです。

「長老、ぼくは行くよ。あかりおねえちゃんのところへ」

風太はそれだけ言うと、目には見えない速さで風になり、長老の部屋を飛び出しました。どんどん景色が後ろに流れていき、空は大きく真っ青でした。

白い雲、きれいな花、大きな木々、緑の若葉。
大好きだった風の友達、長老。
それから、あかりおねえちゃん。

飛びながら色々なものを思い出しました。
生まれてから出会ったすべての美しくてやさしいものを。
ひとつひとつ、風太は思い出して自分の力にしたのです。

不思議と怖くはありませんでした。

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