飼い猫と、番犬。【完結】
これまで経験したことのない動きに体が固まる。
額に落ちてきた口づけとか、誰かに見られてるかもしれないとか、そんなのは一切頭から吹き飛んだ。
ただこいつが入隊した時に左之さんの頭を飛び越えたあの光景だけが、風の音と共に脳裏を掠めていった。
「総ちゃん意外に怖がりやってんなぁ」
漸く動きが止まったと思うと今度は聞き捨てならない言葉が耳に飛び込んできて、閉じていた目をがばっと開けた。
すると──
「ーーっ!」
すぐ目の前には胡散臭い笑み。
ち、近いっ!
「放せ変態っ!」
「ちょ、こら暴れな、落っこってまうで」
今すぐ下りたくてもがいてみたのに、そんなことを言われるとじっとせざるを得ない。
こいつに横抱きされているのと此処から落ちるの、どっちも嫌だが前者の方が幾らかマシだ。
「自分かてしがみついてきたくせして俺だけ助兵衛扱いしたらあかんわ総ちゃん。それに折角人気のないとこ来たんやろ、五月蝿ぁしたら気付かれてまいよるさかいに気ぃつけや?」
「馴れ馴れしく呼ぶな」
勝手に連れてきたのはどこのどいつですか。
一々癇に障る物言いなのはわざとなのかそうでないのか。
呆れ顔のそいつに睨みをきかせると、意外にもすぐに下ろしてくれたのだけど、斜めに重なる瓦は思ったよりも急で立ちにくい。
いつもより高い視線、庭に生える木の緑が近くに感じる。
無意識に目が瓦の描く弧を追って下がっていき、その途切れた景色を映すと腹の底がキュッと縮んだ。
──このまま足を滑らせたら
思わず過った嫌な考えにじわじわと掌に汗をかいて、代わりに口の中が渇いていく。
高いところは苦手。
でも、そんなことはこいつに言えない。言いたくない。
唾と一緒に無理矢理恐怖心を飲み込んで、もう一度そいつを強く見据えた。
「……貴方、どうやって土方さんを丸め込んだんですか」