飼い猫と、番犬。【完結】
そんななか、ふとした瞬間に見てしまうのは少し離れたところに座る一人の男の人だった。


その人だけは今日が初めてじゃなかったから。


入学式から約二週間。
バタバタと沢山の出会いがあるなかですっかり忘れていたあの日の衝突事故を思い出したのは、あの人の話す関西弁のお陰だった。


ほんの少し垂れた目が優しげなその人は、わりと人気があるのか男女問わず常に誰かしらに囲まれていて、今日まだ一度も話せていない。


一応目だけは合った。
それでもただ当たり障りなく微笑んだだけのその人は、もしかしなくてもあの日のことなんて忘れているのだろう。


……まあ別に良いんですけど。


あの時一度はちゃんと謝ったしお礼だって言った。
今更あの時はどうもと話しかけるのは出会い目当てっぽくてなんか嫌だ。


何となくあの人が気になってしまうのは、きっとこの心許ない空間にそわそわとしてしまうからに違いない。





「……はぁ」


そんななんとも言えない感情を吐き出すように溜息をついた私は一度気分を入れ替えようと大きく伸びて、ゆっくりと立ち上がった。



お手洗いでも行ってこよ。

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