ルードヴィヒの涙
十月も瞬く間に過ぎ、拓人と詩音は挙式に先立ち、新居を求めた。拓人のマンションでは、ふたりで暮らすにはやや手狭であったことと、詩音の両親が住む世田谷の家とでは、かなり離れていることが理由であった。
ふたりは、詩音の実家にほどちかい下北沢に手頃なマンションを見つけ、十一月中にはそこに荷物を運び、ともに暮らすようになった。
詩音は結婚を機に、勤めていたイベント会社を寿退職することにした。
しかし、拓人の仕事は相変わらず忙しく、新婚旅行なるものは当分の間、お預けとなった。
「私は、いつでもよろしくてよ」
と詩音は特に意に介さない素振りであった。
拓人と詩音の新しい生活は、まるでワルツを踊っているかのように煌びやかであった。詩音は横浜での約束の通りに、フラワーショップからオールドローズを買い求めてきた。それは満開になると、詩音が好きだと言っていた、真紅のバラであった。
するとこんどは、それに相応しい鉢が必要となり、ふたりで方々をさがし歩いた。しかし、なかなか気に入ったものが見つからず、やっと好みに合うものが見つかったのは、七件目に入ったショップであった。二日がかりのことであったが、そんなことさえも、ふたりには楽しかった。
ダイニングのテーブルには、いつも詩音が選んだ花が花瓶に活けられており、食卓を飾った。また詩音は料理も完璧であった。
手のかかる料理を、いやがることもなく、むしろ楽しんでいる様子で拓人のために作ってくれた。それらの料理は、例外なくすべてが美味であった。
ふたりは「完璧」と言えるほど幸せだったのである。
拓人と詩音が新しい生活をはじめるようになってから四か月ほどが過ぎた三月のなかば、詩音の父親から延びのびになっていた能の観賞に誘われた。
鎌倉で能を観たあと、横浜で食事をともにしないか、とのことであった。拓人は是非にと、快諾した。
その日はあいにくの曇り空で肌寒い日であった。
詩音と詩音の父親、そして拓人の三人で能を観賞したあと、所用で鎌倉には来られなかった詩音の母親と横浜で待ち合わせをした。
待ち合わせた場所は、桜木町の駅からさほど遠くないホテルであった。そこの高層階にある日本食の店を、
詩音の父親はおさえてあった。
「拓人君には、和食では物足りないかとも思ったのだが、どうもここのところ脂っこいものが合わなくてね」
と、詩音の父親は申し訳なさそうに拓人に詫びた。
「私も、上司や同僚と飲むときは専ら魚ですから、お気遣いなさらなくとも大丈夫です」
拓人は義父に心配はいらない、と答えた。
拓人と詩音は初めて入ったその店の料理は、どの素材も新鮮で味付けも良く、満足できるものだった。
窓からは横浜の夜景が見渡せ、詩音と詩音の母親は料理よりもむしろそちらに気持ちが傾いているようであった。
拓人は義父と、その日に観た能の演目についてなどを語り合った。また、拓人の中学時代の友人が何年か前、黒川能を観賞しに山形まで訪れたことを話すと、身を乗り出すようにして、是非自分も訪ねたい、と言った。
料理も殆どが出されたころ、詩音が
「申し訳ありませんが、少し失礼致します」
と言って席を離れた。詩音の父親は、秋田の酒を燗で呑み続けていた。
拓人が義父に酌をし、徳利を袴に戻した時、詩音の母親は話そうか話すまいか、ずいぶんと迷ったというような切り出し方で拓人を見て話し始めた。
「あの娘(こ)は、幼いころから無口で内向的なところがございました。わたくしも主人も、とても心配いたした時期がございました」
詩音の母親はその頃の詩音の様子を、じっと本に目を落とし、自分が部屋に入って行っても気がついているのかいないのか、そのような様子が何週間も続いたり、またある時は同じピアノ曲をひと月ちかくもずっと弾き続けたり、小学校の卒業を間近にしたころからそのような傾向が表れ始めた、と言った。
ある時期、あまりに心配になり知り合いの医師に相談してみようかと、考えたこともあった、と言った。
詩音の母親の表情は、当時の詩音の様子と苦悩を物語っているようであった。
そして最も心を悩ませたのは、三年前、詩音の五歳違いの姉が結婚生活に終止符を打ち、戻って来た時だった、と母親は語った。
僅か二年足らずで、詩音の姉と相手の男性は終焉を迎えたということであった。
「あんなに仲の良かったお姉さまたちが・・・」
と言い、詩音はかなりの長い間、深く傷つきふさぎ込んでいた、ということだった。
詩音の母親は
「お恥ずかしい話をお聞かせしてしまいました。お詫びいたします」
と言ったが、話の脈絡からして詩音の姉の離縁の原因は、相手の女性問題であることを拓人は察した。
しばらくの間、拓人が詩音の母親の話に耳を傾けていると、今しがたまで黙って酒を呑んでいた詩音の父親が、持っていた猪口を手にしたままゆっくりと口を開いた。
「そう、何といえば良いのか、この言葉が適切かどうかはわからないのですが、『死生観』とでも言いますか、そんなものが詩音の内で少しずつ形成されていった。それは、ひと時で、ではなく、あの子の人生の中で少しずつ、色々な経験をしながら培われていった、そのような気がするのです。
そしてそれは、もしかすると他の人たちとは多少違うのではないか、或いは違ってきているのではないか、そんな気がしているのです」
詩音の父親は言葉のあとも、視線は拓人や詩音の母親にはなく、その先は遠くの夜空の彼方にある様であった。
そしてその表情からは、その考えは自分の中では揺るぎのないものである、だからこそ一抹の不安から逃れられることが出来ない。
そんなふうに語っているように拓人には感じられた。
詩音の母親は、自分の夫君の話を聞きながらまだ話をしたかった様子であったが、詩音が戻ってきたことに気がついた父親が目配せをしたので、話はそこで終わった。
そして母親は、今はもうすっかり拓人のお陰で心配はしていない、と結んだ。
その日四人は、食事のあと一台のタクシーに乗りこんだ。
まずは世田谷の詩音の実家で両親が先に降り、そのあと下北沢の拓人と詩音のマンションに帰った。
下北沢に着いたときは、十二時に近い時刻であった。
拓人は聖ゲオルグ教会を長い時間、ひとりで眺めていた。
それは真下から見上げるのではなく、遠くから見ていたのであった。
なにかそのほうが、いまの拓人の心情に合っていたのである。
拓人は長居したその場所から離れ、城壁の前の濠に向かった。
なぜかもういちど、見たくなったのであった。そこは街中よりもさらに人影は少なく、木々が多いぶんひっそりとした雰囲気につつまれていた。
七年前、ここではかなりの写真を撮ったことが、思い返された。
「濠の中の水は、あの時から流れているのであろうか?それともここに、留まったままなのであろうか?」
拓人はそんなことを考えた。