どうぞ、ここで恋に落ちて
羽を撫でるように、指先で柔らかく文庫本の背表紙に触れる。
私の部屋の本棚に置いてあるのと同じ、新訳版『砂糖とスパイス』だ。
「その本、高坂さんが好きだって俺に教えてくれた本なんだけど、憶えてる?」
樋泉さんにそう声をかけられて、私はくるりと振り返って頷いた。
私がそのことを、憶えていないはずがない。
部屋の真ん中に位置するベッドに腰掛けた樋泉さんの元へ歩み寄り、その隣にぽすりと座る。
目を閉じて1年前のことを思い出せば、樋泉さんの柔らかな声のトーンやメガネの奥の瞳の表情までが鮮やかに呼び起こされる。
樋泉さんは、一期書店で働く私を見て好きになったと言ってくれた。
だけど私が本と誰かとの特別な出会いを心から祈り、一期書店に来たお客様にひとつでも多くの"好き"を見つけてもらうためにがんばれるようになったのは、あのとき樋泉さんがその喜びを教えてくれたからだ。
「あの日から樋泉さんは、ずっと私の尊敬する人です。私が好きだと言った本を読んで、自分も好きになったって言ってくれたことが嬉しくて、こっそり樋泉さんに憧れたりして……」
視線を感じてパッと目を開けて横を向くと、思ったより近くに樋泉さんの端整なお顔があって、私はポッと頬を染めた。