どうぞ、ここで恋に落ちて
余韻に打ち鳴る心臓を落ち着けようと、私は真剣な顔をつくって同じ作業を黙々と繰り返す。
そうしているうちに、しばらくしてから咲さんがふと思い出したように呟いた。
「ウチの旦那ね、すっごーく寝起きが悪いの」
「へ?」
私は思わず手を止めて目を瞬いた。
隣に立つ咲さんは、なんてことのない天気の話をするみたいに、いつも通りのクールな横顔だ。
だけど咲さんが仕事中に自分から旦那さんの話を振ってくるなんて珍しい。
というか、今までに一度もない気がする。
今日はお話ししたい気分なのかな。
私はなんとなくウキウキしながら耳を傾ける。
「もうそりゃ、半端じゃないの。呼んでも叩いても起きないし、起きたら起きたで反応鈍いし、油断すると朝食食べながらまた寝るし」
「た、大変ですね」
咲さんの旦那さんといえば、10歳年上で防衛省内勤の超エリートなんだけど、家では咲さんの尻に敷かれてるというのがもっぱらのウワサだ。
毎朝彼を起こして家から送り出す咲さんの姿が目に浮かぶ。
これは咲さんが元来毒舌だからというのもあるかもしれないけど、彼女からたまに聞く旦那さんのお話は、ちょっと残念なエピソードばかりかもしれない。