どうぞ、ここで恋に落ちて
「けどさ、競ってるわけじゃないんだし。うちはうちらしくね。言ってくれれば、なんでも手伝うから」
伊瀬さんは私の手の中から自分の携帯をひょいっと取り上げると、軽く笑っていたずらっぽいウインクをしてみせた。
「伊瀬さん……。ありがとうございます」
戯けた雰囲気の伊瀬さんにつられて自然と頬が緩む。
彼が私を気遣ってくれていることは十分伝わって、そのことでほんの少し気持ちが軽くなった。
それでも、すずか先生のサイン会という大きな見出しや、彼女の樋泉さんを見つめる熱をもった瞳が脳裏にチラつき、モヤモヤと心を支配していく。
同じ栄樹社のミエル文庫を取り上げた企画だ。
書店同士も近い。
樋泉さんの耳にも入っているだろう。
どうにかして小夏書房でのイベントに見劣りしないような企画にしなくちゃいけない。
生まれた焦りは抑えようもなくどんどん広がっていく。
まるで時間さえ焦って急いでしまったかのように、気付けば休憩時間も終わっていて、私は慌てて休憩室を飛び出した。