どうぞ、ここで恋に落ちて
私、伊瀬さんのこういうとこ好きだ。
私が何を焦って、何を不安に思っているのかもわかった上で、今はめそめそするなって言ってくれてるんだ。
そうだ、考えても仕方のないことなんだから、今はとにかく仕事に集中しなきゃ!
やよい先生のサイン入り色紙が入った紙袋をギュッと胸に抱えて、先にレジの方へ戻って行く伊瀬さんの背中を追おうと、勇んで一歩を踏み出した。
すると今度は後ろから右肘の辺りを掴まれてぐんっと引っ張られる。
「きゃっ」
一瞬頭から抜け落ちてしまっていたその存在を主張するように樋泉さんの深い香りが鼻先をくすぐり、よろけた背中はポスッと彼の胸に吸い込まれた。
「古都」
左耳のすぐ側で、どこか色っぽさを滲ませた声が鼓膜を震わせる。
樋泉さんはちゃんとお仕事モードのメガネをしているし、私だって仕事中だ。
それなのに私の名前を呼ぶ声は少しムキになったように大きくて、その声に反応した伊瀬さんがキョトンとして振り返る。
その伊瀬さんと目が合ってしまったからなのか、樋泉さんに耳元で名前を呼ばれたからなのか、ボンッと頬に熱が宿った。