どうぞ、ここで恋に落ちて

樋泉さんに握られた右手に、無意識なのか強張った力が加わる。

押し黙って彼の様子を伺えば、通話の相手の震える声が漏れ聞こえてきた。


《ごめんなさい、私、千春子さんに問い詰められて、それで、樋泉さんに彼女ができたの、言っちゃって……》

「え?」


目を丸くした樋泉さんが、私を見下ろしてパチリと瞬く。


『樋泉さんに彼女ができた』って、私のことでいいんだよね?

電話の相手は若い女の人のようだけど、私の知り合いではなさそうだし、樋泉さんのキョトンとした顔につられて私も首を傾げた。


《白状しなきゃ小夏書房のサイン会は取りやめるって言われたんです。でも、正直に言ったら今度は『樋泉さんが来てくれなきゃサイン会なんて絶対やらない』って》

「すみません、ちょっと、どうして千春子さんは俺に彼女ができたらサイン会に出ないって……?」


樋泉さんは繋いだ手を解いて、困惑したように少し長めの前髪をかき上げる。


《そんなのわかるじゃないですか! 私もてっきり樋泉さんと千春子さんってそうなるのかと……まあ、拗ね方のスケールが大きすぎて困りますけど》


察するに、千春子さんーーすずか先生が小夏書房でのサイン会への出席を拒否しているみたい。
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