どうぞ、ここで恋に落ちて
だけどサイン会は1週間後だ。
月曜に告知が出てからはいろんなところで宣伝もされてるし、もう準備や打ち合わせも大詰めのはず。
電話の相手はたぶんすずか先生の担当編集の方で、小夏書房の営業担当である樋泉さんに慌てて連絡してきたのだろう。
小夏書房で開催されるすずか先生のサイン会は私が感じている焦燥の一因ではあるけど、それが失敗に終わればいいとは思っていない。
身動ぎもせずジッと見守る先で、心底困った顔の樋泉さんがセットされていない黒い髪をぐしゃぐしゃと乱した。
「え、ごめん、俺、全然話がわからな……」
《とにかく! 千春子さんのお部屋で待ってますから、できるだけはやく来てくださいね。サイン会中止はやばいですから。よろしくお願いします》
混乱する樋泉さんを残して、ブチッと電話が切れてしまう。
携帯を耳に当てたままの彼が助けを求めるように私を見た。
「えっと、古都、俺……」
今までに見たことないくらい、樋泉さんが迷っているのがわかる。
さっきは電話に出ることさえ戸惑って、結局私の隣で手をつないで会話をすることを選んだ樋泉さんだ。
私を置いてすずか先生のところへ行くことを、たとえ仕事だとしても、躊躇わずに選べる人ではないのだと思う。