どうぞ、ここで恋に落ちて
樋泉さんはまるで迷子になった子犬のように、眉をハの字にして視線を彷徨わせる。
私は樋泉さんの揺れる瞳を覗き込んで、なるべく明るく見えるように笑った。
「大丈夫です。小夏書房のサイン会のことも知ってます。すずか先生のところ、行ってください」
「古都……」
樋泉さんは小さく頷く私を見て、眉間に寄せていたシワをほんの少し浅くする。
すずか先生はやっぱり、樋泉さんのことが好きなんだと思う。
今、樋泉さんがすずか先生のところに呼び出されて行ってしまうことに嫉妬や不安がないと言ったら嘘になる。
樋泉さんが断れないことを知っていて、仕事を条件にするすずか先生はズルいとも思う。
だけど私は樋泉さんの足を引っ張りたくないし、上手くいかないことばかりでもいつかは樋泉さんに見合う女の人になりたい。
そう思っている今、すずか先生への嫉妬も、小夏書房でのサイン会に対する複雑な気持ちも、彼に悟られたくはなかった。
「ごめん。どうして彼女が突然そんなこと言い出したのかはわからないけど、とにかく行かないと。いつもは、そういう人ではないんだ」
私は申し訳なさそうに言う樋泉さんに笑って頷き、ソファから立ち上がると、樋泉さんの手を引っ張って隣に立たせた。