どうぞ、ここで恋に落ちて
私が今夜『プリマヴェーラ』に来ようと思ったのは本当になんとなくで、気が向いたからだけど、彼女がそこにいることになぜか驚きはなかった。
イタリア語で"春"の意味をもつこのお店に、私も彼女も引き寄せられていたのだろうか。
細い指先でワイングラスを一度傾けて口元に運び、彼女がゆっくりと振り返る。
彼女の書いたお話なら何度も読んだことがあるけれど、会ったのはこの前の一度切りだ。
そのとき彼女の隣には樋泉さんがいた。
すずか先生は、私を見るなりセクシーな唇を子どものように尖らせた。
しっかりとお化粧の施された目元を少し腫らしている。
「なんであなたが来ちゃうのよ。こんな姿、たっちゃんに見られるのもイヤなのに」
「こら千春子、俺のお客さんになんてこと言うの。そんなこと言ってると慰めてあげないよ」
マスターは呆れたようにすずか先生をたしなめてから、私に向かって手招きをした。
たっちゃん、って呼ばれてるんだ。
マスターもすずか先生のことを名前で呼んでるし、ふたりは仲がいいのかな。
私は手に持っていた鞄を胸に抱えて、ふたりのいるカウンターへ近付いた。
「し、失礼します」
頭の中でかなり迷ってから、すずか先生の隣のカウンター席に腰を下ろす。