どうぞ、ここで恋に落ちて
書店員として好奇心の視線を送る私に気付くと、マスターは誇らしさを隠すようにわざと控えめに言った。
「俺のじいさんはね、翻訳家だったんです。あまり有名じゃないし、最近ではほとんど絶版だけどね」
「あら、私は大ファンよ。言葉の選び方が堅苦しくなくて、丁寧で、おじいさまの本は全部おもしろかったもの」
ツンとすましたすずか先生が言い添える。
それからマスターは、すずか先生と彼がいとこ同士なのだと教えてくれた。
すずか先生のお母様は再婚で、そのときの連れ子だったから実際には血の繋がりはないけれど、本当の兄妹のような関係なんだとか。
マスターの名前は辰吉(たつきち)といって、翻訳家のおじいさまが付けた名前だとか、すずか先生はそのおじいさまに大層かわいがられて育ったことも話してくれた。
彼が翻訳家の血筋だからなのか、バーのマスターだからなのか、お話がおもしろくて私はすぐに夢中になる。
微かに肩に乗っていた緊張もみるみるうちに解けていった。
すずか先生はおじいさまに影響を受けて小説家になったのかな。
だとしたら、やっぱりおじいさまの翻訳したものを読んでみたい。
ほとんどが絶版って言ってたけど、名前を聞いて探したら一冊くらいは見つかるかな。