どうぞ、ここで恋に落ちて
私は黙って千春子さんの話に耳を傾けた。
「だけど洋太くんに、頭下げられて。『気持ちには応えられないけど、サイン会はしてくれ』って。当然のことなのに、私のワガママに付き合って頭下げて、ほんとかっこよくて、ダダこねてる自分が急に惨めに思えて」
それから千春子さんは、子どものように涙を流しながらグビグビとワインを飲んだ。
ずっと赤ワインを飲み続けていて大丈夫なのかなと心配になるくらい。
たぶん、マスターが見ているから大丈夫なんだろうけど……。
彼の方にチラリと視線を移すと、マスターは呆れたように肩を竦めながら、うんと愛しい人を見る目で彼女の姿を見守っていた。
きっと千春子さんは、どんな姿を見せても、ズルいことをしたと告白しても、彼が決して見放さないと心から信じているんだ。
千春子さんの樋泉さんへのまっすぐな気持ちも、マスターへ寄せる信頼も、今の私には眩しく思えるくらいだった。
私はこんな風に、自分の気持ちをまるごと誰かに預けることができるだろうか。
ワインを飲み干した千春子さんは、音を立ててグラスをカウンターの上に置く。
「だいたいね、あんなかっこいい姿見せられたら、失恋してまで好きな男の足引っ張ってる私がバカみたいじゃない」