どうぞ、ここで恋に落ちて
なるほど、マザーグースなのか。
サラッと引用しちゃうマスターも、それがすぐにわかる千春子さんも、実は相当教養のある方なのかもしれない。
おじいさんが翻訳家だからなのかな。
困ったように眉を下げながら見破られたことをどこか嬉しそうにするマスターに、千春子さんが小さく舌を出す。
マスターはそれを笑って受け止めて、私たちふたりに優しく語りかけるように静かに付け足した。
「少女のようなかわいらしい甘さと、女性としてのしなやかな強さを合わせ持ったいくつかのスパイスと。そしてその子にとって大切な、素敵な何かを得たとき、女の子はびっくりするほど魅力的になるんだよ」
* * *
星の少ない紺色の夜空は、触れればビロードのように手触りがよさそう。
空に手が届く瞬間って、どんな気分なんだろう。
ほろ酔い程度に火照った頬には、少し冷たい夜の風が気持ちよかった。
夜ももう遅いからと、マスターが呼んでくれたタクシーでアパートへ帰り着く。
まるで舞踏会から帰ってきたシンデレラのような気分になって、またいつかあのお店が私を呼んでくれたら、マスターや千春子さんとお話がしたいと思った。
今夜の『プリマヴェーラ』での出来事は、真夏の夜の夢のようだった。