どうぞ、ここで恋に落ちて
今日はもう仕事も終わって、家に帰るだけだって言ってたのに……。
頭上の夜空は真っ暗になって、小さく星が輝くのがチラチラと見えるくらい。
それでも、南側にあるオフィス街から春町駅へ向かう残業後のサラリーマンなどで通りは十分に賑わっている。
「乃木さん……?」
そんな中、乃木さんはなぜか、きっちりお化粧をした綺麗なOL風の女の人にがっしりと腕を掴まれて、なんだか怯えた様子で立っていた。
ふたりはまるで、一期書店から出てくる誰かを待ち伏せしているかのようだ。
私が彼らを見つけて立ち止まると、女の人は逃げ腰の乃木さんの耳を引っ張ってズンズンこちらへ向かって来る。
「あなたが本屋の"古都ちゃん"?」
「え?」
厳しい顔つきの彼女は、まっすぐに引かれた眉を釣り上げて背の低い私を見下ろす。
ツンと尖った視線が頭のてっぺんから爪先までを隈なく二往復し、最後に私の丸くて子どもっぽい瞳をキッと鋭く射抜いた。
「あの……」
「おかしいと思ったのよ。翔(かける)の部屋にいきなり頭のいい人が読むような文庫本が置かれるようになって、最近は本屋に通ってるなんて言うから」
翔って、もしかして乃木さんのこと?
それなら、この女の人は乃木さんの恋人なのだろうか。