どうぞ、ここで恋に落ちて
乃木さんと彼女の後ろ姿が雑踏に紛れて消えて行くのを、引き寄せられた体勢のまま黙って見送る。
彼らの姿が完全に見えなくなると、未だに不規則な音を立てる胸を押さえて、隣に立つ樋泉さんをそっと見上げた。
「樋泉さん、本当にありがとうございます。また助けていただいて」
私が小さく頭を下げると、彼はメガネのない目元を隠すように、大きな手のひらでくしゃりと前髪を乱す。
「いえ、迷惑じゃなかったですか? すみません、あんなふうに振る舞ってしまって……」
「そんな、全然迷惑じゃないです! 彼、お店のお客さんで、どうしていいかわからなくて。本当に助かりました」
私が大慌てでぶんぶんと首を振ると、樋泉さんはどこかホッとしたように頷いた。
やっぱりさっきの彼は、ムリしてあんな演技をしてくれていたのかもしれない。
ちょっと大人な俺様風のセリフもすごく様になってたけど、スーパーヒーローのように私を救っておきながら威張ったりせず、むしろ迷惑じゃなかったかなんて気遣ってくれるところが樋泉さんらしいと思う。
「あの、ほっぺ、大丈夫ですか? ごめんなさい、ほんとに」
彼の左側に立つ私からは、赤味を帯びた頬がよく見える。
心なしか、さっきより赤くなっているような気もする。