どうぞ、ここで恋に落ちて
動かなくなってしまった樋泉さんを見て、私はようやく気が付いた。
彼を無事に駅まで送るために手を貸そうと思ったけれど、何も知らない人から見たらただ手をつないでいるようにしか見えないはず。
ここは彼の会社の近くでもあるのに、恋人でもない私と駅に向かって手をつないで歩くなんて、余計迷惑に決まってる。
考えもなしに差し出したことを後悔して右手を引っ込めようとすると、その手を樋泉さんの左手が素早く掴んだ。
触れた手のひらの少しひんやりした温度に、肌が張りつめたように敏感になる。
息を飲んだ瞬間、樋泉さんがつないだ手に力を込めてサッと立ち上がった。
「別に。イヤじゃない」
手をつないだ彼の声は、顔を上げられない私のすぐ上の方から落ちてくる。
彼とは知り合って1年になるけれど、一期書店以外の場所で顔を合わせたことは一度もなくて、出版社の営業マンと書店員という距離がそれ以上に縮まる機会なんてなかった。
だから、よく考えると、改めてこんなふうに寄り添うみたいなのはすっごく緊張することで……。
「あ……はい。あの、じゃあ……」
自分から差し出したくせに、いざ手をつないでいることを意識すると、恥ずかしくてまともな言葉も出てこなかった。
目も合わせないままおずおずとぎこちなく駅に向かって足を動かすと、私の右手に引かれて、樋泉さんもゆっくりと歩き始める。