どうぞ、ここで恋に落ちて

つながれた手の中で、ふたりの温度が混ざり合う。


拒否されなくてよかった……。

今更ながらとっても大胆なことをしてしまったとドキドキする反面、樋泉さんが私の手を取ってくれたことに安堵する。

だけどきっとこれも、樋泉さんの優しさなんだと思う。

私が彼の営業先の書店員だから、私が傷付いたり恥をかいたりしないように、差し出した手を握ってくれたに違いない。


その証拠に、樋泉さんは歩き出してからひとことも話そうとしない。


少し前を行く私の後ろを、手を引かれて黙って付いてくる彼。

ふたりの間には、乾いた夜の風が通り抜ける音がするだけ。

駅が近付くにつれて人も多くなり、雑踏の中を手をつないで静かに掻き分ける私たちを、すれ違う女の人がときどき振り返る。

私だってまだ一度も樋泉さんの素顔を直視できていないのにさ。

まあ、メガネをしていない彼には、自分がどれだけ注目されているかなんてわからないだろうけど。


やっぱり樋泉さんって、すっごくモテるんだろうなあ……。

メガネをしてるときの彼は精悍さと気品に満ち溢れ、誠実で優しい雰囲気が漂っていて、その素顔に隠された危険なほどの色気と魅力を覆い隠している。
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