どうぞ、ここで恋に落ちて
「樋泉さん……」
口の中だけで呟いたつもりだったのに、彼はまるで私の声が届いたかのようにふと顔を上げる。
樋泉さんは私たちがお店へ入って来たときから気付いていたのか、さして驚いた様子もなく、恥ずかしそうに苦笑しながら頭を下げた。
それが『一緒にいる彼女が迷惑をかけてごめんなさい』って言っているようで、私の胸はチクリと痛む。
隣にいた伊瀬さんが会釈を返したので、私もそれに合わせて慌ててぺこりと挨拶をした。
この2日間、今度はいつ会えるだろうって思い続けた彼が目の前にいる。
樋泉さんはいつも通りのメガネにスーツの上品でハンサムな男性だけど、その隣には綺麗な女の人がいる。
メガネ、直ったんだ。
あの人、もしかして恋人なのかな……。
次に会えたら助けてもらったお礼をしなきゃと思ってたけど、なんだかそんな雰囲気じゃないかも。
私は頭を下げていた3秒間で、ぐるぐるとそんなことを考えた。
本音を言えば、できればそのまま地面にめり込んでしまいたいほど落ち込んでいたけど、気力を振り絞ってゆっくりと視線を上げる。
するとすぐに樋泉さんと目が合って、私の心臓は驚いて音を立てた。