どうぞ、ここで恋に落ちて
「だけど……だからって、何も変わらないもん。樋泉さんは栄樹社のスーパーヒーローみたいな営業マンで、私は一期書店の平凡書店員でしょ」
私の彼を見る目が憧れと尊敬から恋へと変わっていても、ふたりの関係がどうこうなるわけじゃない。
その結論はホッとするようで、少し切ないけれど。
電話をかければきっと彼は、珍しい人からの着信にちょっと驚きながらも私の報告に笑って「よかったです」って言ってくれるはず。
欠点のない、完璧な樋泉さん。
その対応を想像するとあまりにスマートで呆気なくて、今日一日ジタバタと躊躇っていた自分がバカみたい。
立ち止まり、手に持った携帯の画面を見つめる私の横を、春町駅に向かうサラリーマンがすり抜けて行く。
私は無意識に力の入っていた肩を落とし、覚悟を決めたと言うよりは、半ば諦めたような気持ちで通話ボタンを押した。
携帯を耳に当てると、3コールで発信音が途切れる。
《はい、栄樹社販売部の樋泉です》
「あっ、こ、高坂です! 一期書店の……」
自分から電話をしたのに、実際に通話口から樋泉さんの心地よい声が聞こえてくると、緊張して声が裏返りそうになってしまった。