どうぞ、ここで恋に落ちて
スッと吸い込んだ息を吐き出す勢いに任せて、離れて行く背中に叫んだ。
振り返った樋泉さんは、私がここに立ち尽くしたままなのを知って、怪訝そうに片方の眉を上げる。
ドキドキと音を立てる心臓に負けないように、私は胸を張って彼の元まで声を届かせる。
セクシーでエレガントでハンサムでとにかく完璧な彼には、私よりすずか先生のほうがうんとお似合いのように思えても。
スーパーヒーローな彼の隣に私が立つだなんて、ちょっとおこがましい気がしても。
これはただの"敵情視察"なんだし。
彼に恋人はいないんだから、不実なことをするわけでもないし。
1日くらい、夢を見たっていいよね?
柔らかな一陣の風がスカートの裾を持ち上げて、私の背中をそっと押す。
「今週の土曜日なら、仕事休みなんです。よろしくお願いします!」
ガバッと勢いよく頭を下げて、沈黙をたっぷり5秒数えた。
それから手のひらを握りしめたままゆっくりと顔を上げる。
視線の先に立つ彼。
星が瞬き、私のわずかな祈りを聞き入れたとき。
樋泉さんのメガネの奥で驚きに丸まっていた黒い双眸が、優しい弧を描いて微笑んだ。